古都奈良の和カフェあじさい堂花暦
「大丈夫? 怪我はない?」
男性が階段をあがってきて訊ねてくれた。

「は、はい。おかげさまで……」

お礼を言おうとして声が震えているのに気がついた。
みると、膝も小さく震えている。

男性が運んできてくれたキャリーは、車輪が四つのうち二つが吹き飛び、側面が大きくへこんでいた。

この人が助けてくれなかったら自分が、ここから転げ落ちていたんだと思うと今更ながらに恐ろしくなった。

「謝りせんとひどいなあ。親はどこにおるんや」

男性が走っていった男の子の方をふり返って言った。

それで私ははじめて、自分がその子にぶつかられてバランスを崩したことに気がついた。

「立てる?」

男性が手を差し出した。

「だ、大丈夫です。ありがとうございます」

私は慌てて立ち上がろうとした。

「ゆっくりでいいよ。まずはここからちょっと下ろうか」
男性は私のキャリーと、ボストンバッグを両手に持って、少し離れた場所に置いた。

「あの子もあの子やけど、そっちも危ないよ。そんな靴で、そんな大荷物で石段おりるなんて自殺行為だ」

「す、すみません」

「このガラガラも皆、平気で階段やエスカレーターでも持ち歩いてるけど怖いんだよな。いつ頭上から降ってくるか、上にいられるとヒヤヒヤする」

「はい……」

「今だって下に誰もいなかったから良いようなものの、誰かおったら大怪我だよ。小さい子やお年寄りだったら命に関わる」

「……」

「そもそも、こんなん持って階段の上でぼけ~っとしとること自体が非常識なんだよなー。ちょっと想像すればわかるはずなのに」

た、助けてもらってなんだけど、今はじめて会ったのにずいぶんズケズケした言い方するんだな……。

見た目は私とそう変わらない、二十代後半くらいに見えるのになんだか職場の口うるさい上司の言い方に似てる。

男性は、私のキャリーを引っ繰り返しながら底の車輪の破損したところを見ていた。





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