古都奈良の和カフェあじさい堂花暦
「あー。ダメだな、これ。留め具のとこが完全に割れとる。だいぶ派手に落ちたしなー」

「すみません。ありがとうございました」

私は深々と頭を下げて、キャリーを受け取ろうと手を伸ばした。

けれど男性は、壊れたキャリーを持ったままもう片方の手で軽々と私のボストンも持ち上げた。

「これじゃこの先困るやろ? 近くに修理屋やってる知り合おるからそこで直してくれるよう頼んであげよか」

「えっ!?」

私は思わず声をあげた。

「い、いいです。そんな」
「いいって、だって困るだろ。一時間くらいで直ると思うから」

「い、いえいえ。ほんとに大丈夫ですから!」

私は慌てて男性が持っているボストンの持ち手に手をかけた。

助けられた感謝の念を押しのけて、今さっき感じた僅かな違和感がみるみるうちに膨らんでくる。

(な、なに、この人。介抱ドロボウっていうのは聞いたことあるけど親切なふりして荷物をまき上げる気!? それとも修理してあげるって言って変なところへ連れ込もうとか……)

いや、そこまで悪質なのじゃなくてもそもそも、こんな平日の昼間に作務衣姿なんかでウロウロしている若い男って時点でちょっと変な人なのかもしれない……っ。

そこまで考えると、私は夢中でボストンバッグを自分の腕のなかに取り返した。

「そ、そっちももういいです。返してください」
「え? だってこれ重いよ。車輪壊れてたら手で持って運ぶの大変だ……」

「いいんです! 本当に大丈夫ですから!!」

ほとんどひったくるようにしてキャリーを取り返すと、私は両手に荷物を抱えてヨタヨタと歩き出した。

男性が呆気にとられたように見送っているのが分かる。

(お、重い……っ)

けれどここで荷物を下ろして持ち直したりしていたらまた何か言われるに決まっている。

私は左肩にボストンバッグをかけ、両腕で子供を抱っこするようにしてキャリーを抱えると、男性が何か言ってこないうちに必死でその場をあとにした。






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