アダム・グレイルが死んだ朝

「たまたま、紫奈を見かけたらしい。それで紹介して欲しいって。好みらしいよ。だから彼氏いないなら、林を紹介したいんだけど」

乱暴だ。この男はいつだって優しくない。

「それを言う為に帰って来たの?」

澪が家を出て行ったのは五年前。
高校を卒業してすぐに大学の近くで一人暮らしを始めた。
継母は相当反対していたけれど、澪は逃げるように出て行った。

「そうだよ」と答えた澪の顔は、笑うこともなくて、何を考えているかわからない。

「あんたのこと、殴りたくなる」

「いいよ」

腹が立つ。泣きたくなるくらいムカつく。
月の見えない空に向かって上げた手で、その頬を叩いた。
身長差があるせいで、叩いたと言っても掠った程度の力しかなくて、だから澪の表情が変わることもなかった。

悔しくて、全てが悔しくて私はまた手を振り上げる。
傷つけたかった。この男を、許したくなかった。
私はただ、普通でいたかったのに。

「やっ、離して」

「煩いよ」

もう一度その頬を打とうとした手が掴まれて、私は自由を失った。
ううん。自由なんてもうずっとなかった。
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