リトルガーデン~愛溢れる場所~
あまりにも長年ずっと同じ眺めなので、わたしがそこにいると自分がいくつなのかわからない時があった。

大きな庭石にもたれて座り、やはり交互に空や、大ぶりの枝や葉を見上げ、そのあとに蟻や小石や土を見る。

そうすると、自分の大きさまでもわからなくなって、嬉しくなった。

たまに母が買い物に出て行ったり、父が早く帰宅したりして、庭にいるわたしを見つける。

わたしが晴れている日に部屋のなかにいるのが嫌いなことを、両親は映像で知っている。

晴れた日は、わたしはもはや庭の一部だ。

当然のことのようにあいさつをして、二人は門をくぐる。
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