笑顔の君は何想ふ
「ここです」
見るからに古いと分かる、二階建ての木造アパートの前で、先頭を歩く堂本君は立ち止まった。
堂本君は三人で暮らしていると言っていたが、このアパートはさすがに狭くないか……? それに僕の下宿先のアパートもそうとう古いけれど、それよりもさらに古いように見える。
「うわあ! 古いお家ね!」
オブラートに包むということを知らない東堂が正直な感想を言うので、小さな頭に軽くチョップする。
「お前は思ったことをすぐ口にするな」
「あうっ! でも、嘘をつくのは良くないわ!」
「世の中には優しい嘘ってのがあるんだよ」
「優しい嘘? 優しくない嘘と優しい嘘があるの?」
「そのうち東堂に分かるときが来るだろ。たぶん」
嘘をつかない人生なんてありえない。
そう思いながらも、東堂に嘘はついて欲しくないと思う僕がいる。真っ白で純潔な彼女の心が、ぼやける瞬間など見たくない。
「ほら、行こうぜ。悪いな堂本君。出来る限りコイツは、喋らさないようにするから。分かったか東堂。お前余計なこと言うなよ」
「分かってるわ! 涼夜君ったら心配性ね!」
絶対分かってねえ。
世間一般的な大学生からしたら、東堂はかなり異質に映るだろう。堂本君の姉ちゃんがどんな人か分からないけれど、僕達が怪しまれたら元も子もない。
ドアチャイムを鳴らすと、床の軋む音がしたあと、部屋着にしているのか高校名が書かれたジャージ姿で、堂本くんの姉が顔を出した。
平均よりもかなり背の低い堂本君とは違って、背が高い。さすがに僕よりは小さいとは思うけど、百六十五くらいだろうか。
兄妹で反対だったら良かったのにな。
僕の趣味でしかないけど、女の子は背が低いほど可愛く見える。堂本姉はロングヘアだから、余計に長身に感じるし。せめてボブカットとかなら、もう少しは小さく(というよりも幼く)見えると思うけどな。
「おかえり優太──って、一色君!? えっ!? 何で、一色君が優太といるの!?」
堂本君の後ろに立つ僕を見るなり、堂本姉の感情円はひたすら驚きを表している。かく言う僕も驚いた。
ちょっと待って。誰この人。全く知らない人なんだけど。
どうして僕の名前を知っているんだろうか。
「あっ、ごめん、こんな格好で! 着替えるからちょっと待ってて!」
勢いよくドアが閉められ、ドアごしに忙しなく動き回る音が聞こえる。
部屋の中でジャージでいるくらい、別に気にしなくてもいいのにな。
「涼夜君の知り合いなの?」
首をかしげた東堂が尋ねてくるが、残念なことに身に覚えがない。
「すまん東堂。全く記憶にない」
「でも、うちのお姉ちゃんは知っているみたいでしたよ?」
そうなんだよなあ。小学校の同級生とかか? でも地区的に違うしな……。中学と高校はありえないし……。
駄目だ。全く心当たりがない。
結局、彼女が誰なのかは分からないまま、ドアが再び開く。
「ごめん、お待たせ。取り敢えず中にどうぞ」
私服姿に変わった彼女は、何のためらいもなく部屋の中へ招き入れてくれる。
女子大生なのに、そんな警戒心が低くくて大丈夫なのか?
向こうは僕のことを知っているようだけど、さすがにもう少し気にする方がいいと思う。もしかしたら人違いなのかもしれないし。東堂といい、堂本姉といい、最近の女の子はセキュリティが低くないか?
とはいえ、今回は事情が事情なので、すんなり家に入れるのはありがたい。
「おじゃまします」
「おじゃまするわ!」
四人分の靴を置くには少し狭い玄関を抜けると、生活感の溢れるキッチンが目に付く。お母さんはいないと言っていたし、彼女が料理を作っているのだろうか。
六畳くらいの居間へと通される。部屋はあと二つあるようだけど、おそらく寝室なんだろう。
四人掛けのテーブルに僕と東堂が並び、向かいに堂本兄妹が並んで座る。
「えっと、一色君。この子は……?」
掌を上にして、遠慮がちに東堂を示す堂本姉。
「えーと、こいつは……」
こいつは、何だ。
同級生ではないし、友達というのも違う気がする。親戚でもないし……。
「私は東堂香織よ! 涼夜君の仲間なの!」
戸惑う僕のことなんて露知らず、自己紹介を済ませる東堂。仲間ってなんだよ仲間って。
戦隊物かよ。
「な、仲間……?」
「こいつ、ちょっと変わってるから気にしないでくれ」
本当はちょっとどころじゃないんだけどさ。
「あなたの名前を教えて頂戴! 涼夜君のことをどうして知っているの? 涼夜君はあなたのこと知らないらしいのだけれど!」
何を言い出すんだこのバカは。
「おい。言ったよな? 余計なこと言うなって」
「だって涼夜君言ってたじゃない! 全く記憶にないって!」
「いや、そう……だけど、そうじゃないんだよ! もうちょい空気ってもんをだな……」
本能で動いている猿には、言うだけ無駄な気がする……。
東堂の感情円は、依然純白のままで、少しも悪意がないことが分かる。悪意のないことが、こんなにも面倒だとは思わなかった……。
無邪気なならず者というのはタチが悪い。
「えーと……ごめん。どこかで会ったことあるっけ?」
仕方無く堂本姉に尋ねると、苦笑いを浮かべながら目を伏せられる。
大きく息を吐いた後、彼女は僕の目を真っ直ぐ見て、衝撃の事実を告げた。
「えっと、一色君と同じ学科の、堂本三奈です。講義の時に何度か、隣りの席に座ったことあるんだけどなあ……」
「えっ、嘘。……ごめん」
全く記憶にない。
大学の講義は席が自由だし、いちいち隣に座る人の顔なんて気にしていないし。それに顔を見ると感情円も目に入っちゃうし……。
「いいよ、気にしないで。一色君は一匹狼! って感じだもんね」
別に一匹狼っていうわけじゃない。単純に友達がいないだけなんだけどさ。
堂本姉の表情は、全く気にしていないと言わんばかりに笑顔なんだけど、感情円が真っ青なんだよな……。
そんなに悲しまれると、すごい申し訳なくなる。
これからは、隣に座った人の顔くらいは気にしておこう。
ちなみに、こんな空気にした超本人は、隣の席で両足をプラプラと揺らしている。本当、自由人だな……。
「でさ、今日はどうしたの? 優太と一色君って知り合いだったの?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど……さっきショッピングモールで知り合ったばかりなんだ。ちょっと話があって来たんだ」
堂本姉は、不思議そうに首を傾げる。
「あー……どうする堂本君。自分で話すか? 話しにくいなら、僕が話してもいいけど」
「……お願いします」
「分かった。ちょっと、冷静に聞いて欲しいんだけど──」
僕は今日の出来事を話し始めた。