笑顔の君は何想ふ
「よっしゃ! 次でやっと終わるぜ!」
大股で歩く黄瀬は、記入用紙を掲げながら叫ぶ。さっきまでは聴力検査のために、静かな教室にいたからか、余計に大声に感じる。
残りは視力検査だけだ。僕の目は少し特殊だけど、視力は至って普通だ。両親は目が悪いため、これから悪くなっていく可能性はあるかもしれないけどさ。
「視力検査は楽しみだぜ!」
身体測定は基本的に自由行動で、誰と一緒に回ってもいいことになっている。いつの間に仲良くなったのかは知らないけれど、拓也が黄瀬と一緒に回ると言っていたので、僕もそこに混ざっている。
「えー! 俺嫌いなんだけど。何だか目がチカチカするし。春樹は何であんなの好きなんだよ?」
「バッカ。俺だって検査自体は嫌いだよ。ただな……」
前を歩く二人は、内緒話でもするかのように肩を組んで顔を近づけている。黄瀬の声は抑えていても大きいから、僕にも聞こえているけどな。
「測定の手伝いをよ、二年生の保険委員がしてるだろ? 視力検査の手伝いしてるのが、俺の小学校の人なんだよ。その人な……」
あ、黄瀬の感情円が灰色になった。
「好きなんだな、その先輩のこと」
ポツリ、と小さく呟いただけなのに、拓也と並んで歩く黄瀬が振り返った。
「ちょっ……! 何で分かったんだよ、リョーヤ! 俺まだ何も言ってねえのに!」
感情円を見たからです。
そう答えるのは簡単だけど、笑い者になるのはゴメンだ。ここは適当にごまかしておこう。
「勘だよ勘。流れ的にそうなのかなーって」
「マジか! 勘やべえわ! マジその先輩可愛いからな! お前ら惚れんじゃねえぞ!」
黄瀬がここまで言うからには、本当に可愛いのだろう。惚れる予定はないけどな。
「早く行こうぜ! 立華先輩が俺を待ってるぜ!」
別に待ってはいないと思うけどな。本人が楽しいみたいだから別にいいけどさ。
視力検査を行う体育館は、あまり人がいない。先に済ませる人が多かったのだろうか。
「おい、いたぞ! あの二番目にいるのが立華先輩だ」
全部で測定場所は五ケ所ある。どうやら、二番目にいるのが件の立華さんらしい。僕よりも高い身長と、腰くらいまである長い黒髪、さらに切れ長の目が相まって、ミステリアスな感じだ。可愛いというよりも、どちらかといえば美人な気がする。
僕のタイプではないな。僕はもっと子供っぽくて、思ったことをすぐ口にするような子が好きだ。あと、身長は低いほうがいい。
黄瀬は当然のように、立華さんのいる所を選ぶ。僕と拓也は、その両サイドで検査することにした。
特に問題もないため検査自体はすぐに終わり、隣を見ると黄瀬が立華さんに話しかけているところだった。
黄瀬には悪いが、立華さんの心はデフォルトだ。いや、どっちかというとちょっと面倒に思っているぞ。
何人かが体育館に入ってくるものの、黄瀬がいるからか誰も立華さんの所にはこない。正直、黄瀬を苦手な人は結構いると思う。自分本位だし。僕もどっちかというと苦手だ。今は一緒にいるけど、時間が経つにつれて関わりが減っていくと思うし。
「あの……お願いします」
そう言って、黄瀬と話している立華さんに(話しているというか、話しかけられているのだが)、記入用紙を差し出したのは明石だった。
「あー、はい。黄瀬君、人が来たからまた今度ね」
「はい! 是非またお話しましょう! 先輩の連絡先教えてもらってもいいですか?」
「あー、うん。また今度ね」
「分かりました!」
立華さんはぶっきらぼうに言っているが、黄瀬はそんなこと気にしていないんだろうなあ……。絶対脈なしだと思うけど。
「くっそ。せっかく上手くいってたのに、明石のせいで連絡先聞きそびれたぜ」
黄瀬は僕達と合流するなり毒づく。
どっちかというと明石に助けられたと思うぞ。あのままだと、しつこいって言われそうだったし。
「明石が終わったら聞きに行ってくる」
やめとけ。絶対、しつこいって思われるから。そう思うも、口には出さない。当たって砕けるなら本望だろう。
視力が悪いのか、明石の検査は長かった。隣に立つ黄瀬がイライラしているのが、感情円を見なくても伝わってくる。
ようやく視力検査が終わったものの、黄瀬が駆け出すよりも早く、立華さんが明石を呼び止めた。
「あいつ、何話しかけられてんだよ! くっそ! リョーヤ、タクヤ! 何話しているか聞きに行こうぜ!」
「おうよ!」
えー……心の底から興味ないんだけどな。
でも、拓也も行くなら仕方がない。二人と少し距離を空けてついていくことにする。
「えっと、明石……透君、かな? 君、バレーに興味ない? 今男子部員が少なくて……君みたいに身長が高い子が来てくれると、即戦力なんだけど」
どうやら部活の勧誘らしい。確かにバレーだと、あの身長は武器になるな。明石は運動神経も良いっぽいし。
……でも、無理そうだ。
「すいません、興味ないです」
それだけ言うと、立華さんに背を向ける明石。
「あの、見学に来るだけでもいいから……!」
必死に止めようとする立華さんに、明石は淡々と言い放つ。
「……入らないのに、見学しても邪魔になるんで。すいません、失礼します」
ドンマイ、立華さん。見た目はクールなのに、わりと感情的らしい。感情円は青──悲しみを示している。
「春樹!?」
おとなしく話を聞いていた黄瀬は、明石の姿が体育館から消えると同時に駆け出した。
再び真紅に染まった黄瀬の感情円が目に入り、拓也と一緒に追いかける。
「テメエどういうつもりだよ!」
体育館の外では、壁際に明石を追い詰めている黄瀬の姿があった。
「何だよさっきの態度は! 先輩に失礼だろうが!」
「……すいません、って言ったけど」
「背を向けたままでな! ふざけてんじゃねえよ!」
黄瀬のやっていることは、ただの八つ当たりだ。さすがに止めるべきか。拓也は何だか楽しそうに、この状況を見ていて、止める気はさらさらないようだし。
「……だって」
「あ? 何だよ!? 言いたいことがあるなら、はっきり言いやがれ!」
「……だって、興味ないことに誘われても、迷惑じゃないですか」
「お前……!」
明石の襟首に、黄瀬が手を伸ばす。
まずい。
僕が一番見たくない色に、喜瀬の感情円が染まる。
「黄瀬! 落ち着け。さっきから目立ってる。ここで騒ぐと、先生が来るのも時間の問題だぞ!」
「うっせえよ、リョーヤ! こいつ、先輩の好意を迷惑っつってんだぞ!」
僕が止めに入るも、黄瀬は止まる気配がない。
「ここで騒ぐと、体育館にいる立華先輩に見られるかもしれないぞ。それでもいいのか?」
「………………」
黄瀬の弱点である立華さんの名前を出すと、黄瀬は伸ばしていた手を下ろした。
「くっそ! 今日のことを俺は忘れねえからな! 行くぞ、リョーヤ、タクヤ!」
「はいよー!」
最後まで傍観していた拓也は、名前を呼ばれるとご機嫌な様子で黄瀬の隣を歩き始めた。今の場面を見て、どうすればご機嫌になれるのか僕には分からない。小学校の六年間で、拓也のことはよく理解していたつもりだったけれど、どうやらそれは僕の思い過ごしだったようだ。
教室へと続く階段の途中で、黄瀬は小さく一言呟いた。その声は隣を歩く拓也にも聞こえていないのに、僕の耳にははっきりと聞こえてしまった。
「昨日といい、今日といい……アイツ、後悔させてやる」
黄瀬の感情円の色は今も変わらないままだ。
燕脂色──表す感情は『敵意』。