笑顔の君は何想ふ
四章 スピードと摩擦
「ねえ、一色君。これ、どこに向かっているの?」

「分からん。あの気まぐれなお姫様の考えることなんて、理解しようとするだけ無駄だしな」


 隣を歩く少女は、涼しげな雰囲気を感じさせる薄水色のワンピースに、半袖のカーディガンを羽織っている。前に会ったときは、髪の毛を下ろしていたものの、今はポニーテールにしてまとめられている。


「目的もないのに散歩しているんだ? 何だか不思議だね。でも、本当に良かったの? 私もついてきちゃって」

「別に一人増えたところで、僕も東堂も気にしない。でも、堂本さんも物好きだな。目的もない散歩に付き合いたいだなんて」


 疲れるだけで、面白くもなんともないだろうに。


「だって……気になっただもん」

「気になったって何が?」

「東堂さんと、一色君が何しているのかなって」


 堂本姉は少しだけ目を伏せたあと、僕の前に回り込んで小さく微笑んだ。

 どうして僕達と一緒に、堂本姉がいるのかというと、きっかけは一時間前に遡る。


 ***


「ファストフード? って言うのを食べたいの!」


 東堂にとって、夏休み最終日である今日。

 ここ数日は、毎日行われた世界を笑顔にする散歩、という名のパトロールもようやく終わりを迎える。

 今日歩いているのは、駅前のショッピングモールに人を取られたせいで、閑古鳥が鳴いている商店街だ。困っている人なんて、そうそういないだろう。いたとしても、落とし物探しぐらいだろうし。

 今日は、楽に終わりそうだ。そう思っていた矢先に、東堂はそんなことを言いだした。


「ファストフード? 牛丼屋とかか?」

「牛丼屋もそうなの? 私はハンバーガー屋って聞いたわ!」


 ああ、そっちか。


「確かに、ハンバーガー屋もファストフードだな。つーか、どうしたんだよ急に。ファストフードが食べたいだなんて」

「だって、私だけクラスで食べたことがないんだもの!」


 確かに金持ちは、ファストフードを食べるイメージはないな。

 東堂株式会社は、日本有数の大企業だ。本当ならば、高校どころか中学すら通っていない僕なんかが、そんな会社の社長令嬢と知り合えるはずなんてない。事実は小説よりも奇なり、なんて言葉があるけれど、全くそのとおりだと思う。


「あー確かに、美里さんは食べさせてくれなさそうだな」

「そうなの! ママのお料理は美味しいけれど、たまには皆が食べているものを食べたいわ! だから、涼夜君に連れて行って欲しいの!」


 僕と東堂は、頭一つ分くらいの身長差がある。そのため、東堂が僕の目を見るときは、必然的に上目遣いとなる。

 狙っているわけじゃないのは分かっているものの(狙ったあざとい振舞いは、感情円を見れば分かるし)、そんな風に見られると、一介の男子大学生としては非常に断りにくい。


「……分かったから、ちゃんと前向いて歩け。転んでも知らねえぞ」

「はーい! ありがとう、涼夜君! 楽しみだわ! どんなお料理が出てくるのかしら!」


 そんなに期待しない方がいいと思うけどな。僕はカップラーメンもファストフートも大好物だけど、お嬢様である東堂の口合うかどうかは微妙なところだ。まあ、こいつはかなり変わっているから大丈夫か。


「僕の記憶が確かなら、商店街の一番奥に店があった気がする」

「じゃあ、そこに向かいましょう! あ! もちろん、涼夜君はちゃんと探しながらね!」


 店に向かいながらも、困っている人探しはしないといけないらしい。たぶん、見つかることはないと思う。というか、そもそも歩いている人が少ないし。




 案の定、ハンバーガー屋に辿り着くまでに、特別な色に出会うことはなかった。すれ違った数人は、ほとんどが橙色で、たまに緑色がいただけだ。

 東堂は店の前に貼ってあるメニュー表を見て、口を半開きにしたまま、目をキラキラと輝かせている。普段から、このくらい静かにしていれば可愛いのに。


 東堂の意識が看板に向いてるので、長年(といっても二ヶ月くらいだけど)の疑問だった、東堂の髪に触る。

 やっぱり、もみあげの部分とか、前髪はショートカット風にして、襟足だけ伸ばしているのか。横から見ると、何だか不思議な感じだ。ショートにして、ロング。ロングにしてショートと、二律背反しているものが混在している。純真無垢という言葉を体現している東堂に、この髪型は似合わないような気がしないこともない。

 髪の毛さらっさらだな。同じ人間だとは思えないくらいに、さらっさらだ。しかも、少し良い香りがするし。


「……本当に良い香りだな」

「私がどうかしたの?」


 僕の声が聞こえたのか、急に東堂が振り返るので、思わず後ずさるものの、左足が先走ったせいで重心が崩れて、派手に転んでしまった。


「痛って……」


 地面に転けたのなんて、いつぶりだろうか。こんなにも痛い思いをしたのは、久しぶりな気がする。ここ数年間は運動はおろか、外に出ること自体少なかったからな。


「涼夜君、大丈夫!?」

「大丈夫だ。すっげえ手の平が痛いけどな。」


 着地する際、とっさに地面に着いた左手の手の平は、小さな切り傷がいくつもあった。これくらいで済んだのなら、まだいいほうだろう。後向きに転けたときは、骨折することが多いと聞くし。


「涼夜君の方こそ、前を向いて歩かないと危ないわよ?」


 うっ。転けてしまっただけに、返す言葉がない。だけど、東堂にそんなことを言われるのは少し屈辱だ。


「……お前が急に振り返るから、驚いたんだよ」

「だって、涼夜君が私の名前を呼んだもの!」


 聞こえるかどうか分からないくらいに、小さい声で言ったつもりだったのだけど、東堂には聞こえたようだ。


「別に呼んでねえけどな」

「絶対に呼んだわ! 香織って言ったもの!」


 香織? ああ、香りか。


「東堂のことじゃない。匂いの方の香りだよ」

「そうだったの?」

「そうだよ。僕が一度でも、東道のことを名前で呼んだことあるか?」

「そういえばそうね……。爆発するからだったかしら?」


 まだその話を信じていたのかよ。訂正するのも面倒だし、話を合わせておくことにしよう。


「東堂も爆発したくないだろ? ほら、バカなこと言ってないで早く入ろう。あんまり遅くなると、晩飯食べれなくなるぞ」

「ちょっと待って! まだ、何を食べるか決めていないわ!」


 まだ決めてなかったのかよ。真夏日は過ぎたとはいえ、八月の中旬はまだ暑い。店内の涼しい風を、早く浴びたいんだけどな。


「あれ、一色君……と、東堂さん?」


 手をうちわ代わりにしてパタパタと振っている僕の前に現れたのは、ほんの十日ほど前に知り合った、堂本優太の姉だった。
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