笑顔の君は何想ふ
「ねえねえ、探しに行きましょう!」
残っていた砂糖をすくい終わったのか、少女はスプーンの先を僕に向ける。
「探しに行くって何を?」
「もちろん、自殺しそうな人よ! 世界は笑顔じゃないとダメなんだから! 生きようと思うように手伝ってあげないと!」
「そんな簡単に上手くいくわけないだろ……。第一、そんな簡単に自殺しそうな人は見つからないし」
善意で人を助けることは中々できない。人は恐れているものよりも、愛してくれるものを容赦なく傷つけるのだから。人を助けるのは、いつだって悪意だ。
それに、そんな簡単に自殺志願者が見つかるような世界だったら、僕の気が滅入るからな。
嫌だぞ、どこもかしこも穴だらけの感情円なんて。
「いらっしゃいませー」
僕達が入店して約三十分。ついに他の客がやってきた。
くたびれたスーツを身に纏った、中年のサラリーマンは僕達と対角線の位置にあるカウンターに座る。僕の位置からは男性の顔がはっきりと見え、感情円に目を向けた瞬間、血の気が引くのを感じて息を飲む。
彼女が呼び寄せたのじゃないだろうか。そう思ってしまうのも仕方のないことだろう。その色を見るのは、あの時以来なのだから。
感情円の色は黒──『絶望』を表す、黒だ。それも穴だらけの。
「東堂──って、お前何してんだ」
少女は僕のコップにも手を伸ばし、砂糖をすくっていた。
「え? お砂糖を食べてるの」
「そんなこと見れば分かる。何で僕のコップにあった分まで食べているんだよ」
「涼夜君が食べてないから、もったいないと思って。これすっごく美味しいんだもの!」
「砂糖ばっか食ってたいたら太るぞ」
「大丈夫よ! 私、太らない体質だから! それに──」
太らない体質だなんて、全国のダイエットに勤しむ女子が聞いたら泣くぞ。
「初めて名前を呼んでくれたわね! 名字なのは気になるけれど……まあ、いいわ! 慣れたら名前で呼んでくれるでしょうし!」
慣れても呼び方を変える気はない。それに、慣れるほど会う気はないから安心しろ。
「それで何? あ……分かったわ! 探しに行く気になったのね!」
「違う。……どうやら、探しに行く必要はなさそうだ。今入ってきたサラリーマンさ、もうすぐ自殺する」
もう八割がた感情円がなくなっている。もって一週間ってとこだろう。
「本当に?」
「信じる信じないは東堂の自由だ」
僕はただこの目で見たことを、ありのまま伝えるだけだ。
「私ちょっとお話してくるわ!」
「ちょっ……! おい!」
疑うということを知らないのだろうか。彼女は跳ね上がるように立ち上がると、体を翻して男性に向かって歩き出す。伸ばされた後ろ髪が、東堂の後を追うように綺麗な円弧を描いた。
あー、あれか。襟足だけを長く伸ばしているから、前から見るとショートカットみたいに見えるのか──ってそんなこと考えている場合じゃない!
「ねえねえ、おじさん。私とお話をしてくれないかしら?」
お前それじゃあ、ただの怪しい人だぞ……。
「え……?」
ほら見ろ。おっさんも困ってるじゃねえか。見知らぬ女がいきなり話かけてきたら、誰だって警戒するだろ。美人局とかの可能性もあるし。
いや、こいつの見た目で美人局はないか。高校三年生というのも信じられないくらいだし。
「あー、すんません。こいつ、ちょっと変わっていまして。あなたの雰囲気が、なんとなく暗そうに見えて気になったらしいです」
「だって、涼夜君がこの人が自──」
ややこしくなるから、お前は余計なことを言うな。
東堂の口を左手で塞ぎ、まだ僕達を警戒しているおっさんの方を向く。
「何か悩みがあるなら、こんなところで会ったのも何かの縁ですし、話くらい聞きますよ? 大学生である僕がお力になれることはないと思いますが、人に話すだけでも気が楽になると思いますし」
全く何をやっているんだろうか僕は。この目で知り得た情報で、他人と関わるのはもう辞めたはずなのに。
この呪われた目は、運命なんて変えられなかった。いや、運命は変えられたのか。悪い方向にだったけどさ。
でもこいつが、東堂が幸運の目と言ってくれたから。
もう一度だけ、この目で世界を変えようと思った。
ただそれだけだ。