笑顔の君は何想ふ
剛毅さんの誕生日会以来、休日になるたびに東堂から連絡が来るようになった。その内容はいたってシンプルで、街中を散歩しながら困っている人を探そうというものだ。

 意外と困っている人は多いらしく、僕の目が見つけたことを信じて、東堂は何度も人助けをしていた。さすがに自殺志願者は、初回のサラリーマン以外で出会ったことはないけれど、多くの人を東堂は笑顔にしている。


 面倒くさいことこの上ないし、正直人助けなんて全くやる気も起きないけれど、僕は毎週のように東堂に付き合っている。


 理由は二つ。


 一つ目は東堂香織という人間に興味が湧いたからだ。僕なんかよりも壮絶な人生を歩んできた少女が、他人の笑顔を愛してやまない理由を知りたくなった。

 二つ目は白色が何の感情なのかを知るためだ。あの人が最後に伝えたかったことを理解するために。

 ただそれだけだ。


「ねえ涼夜君! 私、今日は行きたいところがあるの!」


 つい先日、ようやく期末テストも終わり、長い夏休みが始まった。大学の夏休みは高校生よりも遅いため、東堂はもうすぐ夏休みが終わるらしい。

 お互いの夏休みが被っているここ数日は、毎日のように東堂と会っている気がするけれど、こいつは友達との予定がないのだろうか。


「えっとね! 読書感想文の宿題が出ているのだけれど、何を読むか決めていないから、涼夜君に決めて欲しいの!」

「自分が読みたいの買えばいいだろ?」

「どうせなら、涼夜君が読んだのを読みたいじゃない!」

「何でだよ?」

「そうすれば読み終わった後、涼夜君とお話できるじゃない! お互いの感想聞ける方が楽しいでしょう?」


 あー、なるほど。

 確かに読んだ本の内容を、他人と話すことは楽しい。自分が気にもしていなかったところで、感動していたりするしな。


「東堂にしては珍しく、一理あるな」

「でしょう? だから、本屋に行きましょう!」

「どこの本屋に行くんだ?」

「駅前にあるショッピングセンターに行きましょう。今日は家に誰もいないから、晩ご飯も食べないといけないの」


 一度だけ、東堂の家に行ったことがある。予想していたのはバカでかい門があって、お手伝いさんがいる豪邸だったのだけど、実際は全然違った。少し大きい普通の家で、お手伝いさんもいなかった。ご飯も剛毅さんの奥さんである、美里さんが毎日作っているらしいし。


「涼夜君は晩ご飯どうするの?」

「お前と違って、僕には作ってくれる人なんていない」

「そういえば涼夜君は一人暮らしだったわね! なら、晩ご飯は一緒に食べましょう」


 全く、こいつは自分が女子高生という自覚がないのだろうか。軽々しく異性を飯に誘うなっつうの。

 僕はこいつのことを、手のかかる妹のように思っているからいいけどさ。いつか悪い男に騙されそうで怖い。東堂家は金持ちだろうし、身代金目的で誘拐とかされそうだ。


 人通りの多い駅前の道を並んで歩く。東堂はいつも通り、ご機嫌な様子で鼻歌を歌っている。毎回同じ曲な気がするけれど、何の曲なのかは知らない。

 道行くたくさんの人々は、様々な感情だ。怒っている人、悲しんでいる人、喜んでいる人、緊張している人、まるで花園のように色とりどりだ。これだけの人がいるのに、白色の感情円はやっぱりいない。


 東堂の気持ちだけは、僕にも分からない。


 ***


 平日ということもあって、ショッピングモールは人通りもまばらだ。

 とりあえず東堂の本を買うために、僕達は二階にある本屋へと向かった。


「うわー! たーっくさんの本があるわ! ねえねえ涼夜君! どれがオススメかしら?」

「まずお前は、静かにするということを覚えてくれ」


 どこでも騒ぎやがって。いつか怒られるぞ。


「とりあえず、小説コーナーに……」


 教科書や参考書が置いてあるコーナーに、中学生くらいの男の子が立っている。周囲には誰もおらず、やけに大きな手提げ鞄を持っていた。


「どうしたの涼夜君。早く行きましょう!」

「ちょっと待て東堂」


 レジカウンターからは、ちょうど反対側に当たるため、店員からは死角になっているだろう。

 東堂に動くなと言って、僕は少年へと歩みを進める。僕が近付けば近付くほど、少年の感情円は目まぐるしく変化していった。

 間違いない。

 棚を一周し東堂の元へと戻ると、東堂の手を引き、本屋から出て少年がぎりぎり見える位置を陣取った。


「どうしたの?」

「あんまり顔を向けるなよ。教科書とか置いてあるコーナーの所に、男の子が立っているだろ。あいつ、万引きする。たぶんな。確率でいうと八十パーセントくらい」

「そうなの!? じゃあ止めなきゃ!」


 男の子の元へと駆け出そうとする、東堂の手を僕は掴んだ。


「待て。まだするかどうかは分からない。確率八十パーセントって言っただろ? まだ怪しいだけだ。実際にしたら、声をかけよう」

「どうしてすると思うの?」

「始めは、やけにでかい鞄を持っているなと思ったんだよ。で、周囲を気にしている様子だったから、近づいて感情円を確認してみた。そしたら、警戒と緊張が混じっていたからな。しかも、僕が近付くほど色がはっきりしていったし」


 東堂には低く見積もって、八十パーセントと言ったけど、正直なところ百パーセントすると思う。

 感情円の様子からして、常習犯というわけでもなさそうだし(常習犯なら、あんなにも緊張しないだろう)、犯行に及んでから声をかけるほうがいいだろう。


「分かったわ。ここから様子を見ていればいいのね!」

「向こうには気づかれないようにな」

「大丈夫よ! 私、かくれんぼは得意なの!」


 かくれんぼじゃねえけどな……。鬼を監視するかくれんぼってどんな遊びだよ。

 男の子は店員の位置を確認するためか、レジの前へと移動した後、再び元の棚の前に立った。そして、横断歩道を渡るときのように首を左右に振った後、棚に入ってある本を二冊、鞄の中に滑り込ませる。


「行くぞ……って、東堂!?」


 僕が声をかけるよりも早く、東堂は男の子へと向かっている。

 あのバカ! そんな迷いなく直進したら、逃げるかもしれないだろうが!


「ちょっと待って!」


 案の定男の子は、東堂から逃げるように反対の棚へと回る。

 こうなると思って、反対側に回っておいて良かった。僕の正面から現れた男の子の手を取る。


「ちょっと話そうか。別に店員に話すつもりも、警察に言うつもりもないんだ。盗ったものは、取り敢えず棚に返そう」


 男の子は目を伏せたまま、何も言わない。驚きと焦りが入り混じった感情円は、男の顔と同じように青白い。


「心配しなくてもいいのよ! 私達は正義の味方だから! あなたを笑顔にするためにやってきたの!」


 目つきが悪い僕とは違って、優しそうなお姉さんの登場に安心したのか、少年は小さく頷く。

 見た目はお姉さんというか、同級生って感じだけどな。


「東堂、一階の奥にあるカフェに行こうか。先に店から出ておいてくれ、僕は本を棚に戻してくるよ」

「分かったわ! 行きましょう」


 東堂は男の子の手を引いて店から出る。東堂とあまり身長が変らないから、中学一年生くらいだろうか。声変わりもまだのようだったし。

 店員に見つからないように手早く本を棚に戻し、僕も店をあとにした。
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