白に染まる、一滴の青。
気まぐれでアトリエにやってきたり、そうかと思えば、何も言わずに去って行く。本多は、入学当初からそういう自由な人間だった。
そんな本多の行動に何も驚くことなく椅子から立ち上がった慧は、アトリエの隅っこに布を覆った状態で立てかけてあるキャンバスを手に取り、イーゼルに立てかけた。
被せていた布を床に落とすと、キャンバスに描かれた完成間近の楓の絵が現れる。
慧は、ゆっくり瞼を下ろした。目の前の丸椅子にいない楓の姿を思い出し、瞼を開くとゆっくり筆に手を伸ばす。すると。
「あ。モデルが不在の状態で描こうとしてる」
「え」
突然、時計の秒針しか聞こえないアトリエ内に透き通るような声が響いた。
声のした方を向くと、そこには紫陽花色のワンピースを見に纏った楓がこちらを見ている。今日、彼女が来ることを知らなかった慧は、驚いて目を丸くした。
「あの、今日は来てくれるって言ってなかったですよね」
今日も絵を描き始めた時と全く同じ服装と髪型でやってきた楓が頬をふくらませた。
「なんだ。せっかく描いてもらいに来たのに、来る必要なかった?」
「いや、そういう訳じゃなくて……」
「そう? なら、いいよね。ちょっと慧くんに愚痴も聞いて欲しいし」
膨らんでいたはずの頬からいつのまにか空気は抜け、がらりとさっきとは真逆の表情に変わる。
口角を上げている楓は、そのまま丸椅子を自分で窓際まで運んでくると座り込み、窓の向こう側を見た。
「今日、天気良いね」
「え? あ、はい。そうですね」
外を眺める彼女に慌てて相槌を打つ。
さっき、瞼の裏側で想像していた彼女が目の前にいる。鮮明に瞳に映る楓を、慧はすぐに一枚の絵にしたくて、すぐに筆をとった。