白に染まる、一滴の青。
「今年は筆も進んどるみたいやし、出すなら期限、しっかり間に合わせや」
本多が、慧の側にあった木製の机にA4サイズの用紙を裏返してそっと置いた。
その瞬間、ふと慧は、本多にはコンクール用の絵を描き忘れていたことは話していないことに気がついた。
確か、その話をしたのは目の前にいる楓だけ。
どうして、自分がコンクール用の絵を描き忘れていたことを本多が知っているのか。答えは、あまりにも簡単だった。
「コンクール用の絵については、ちょっと迷ってるのでまた相談させてください」
「ん、分かった」
実は、コンクール用に描いた絵なんてたったの一枚もない。
コンクールに提出する絵にテーマは定められていない。毎年、エントリーが可能な期間に描いた絵の中で一番に自信のあるものを慧はコンクールに出していた。
今年もそうしよう、と思っていたわけでも何でもなく、本当にコンクールのことをただ忘れてしまっていた慧は、ただ描きたい絵を、いつもより衝動的に。感情的に描き連ねただけだった。
今年の夏、慧が描いたのは、途中のものも含めると五枚。もちろん、全てモデルは楓だ。
コンクールに出すとすれば、彼女に許可を得る必要だってあるし、そもそも、コンクールのことは頭にない状態で描いたものだ。確かに、こんな風にして五感を使うようにして筆を動かしたことも、満足できたこともない。ただ、こんな自分の心情が交わった絵を出しても問題はないのか慧は心配だった。
「ほな、ちょっと吸うてくるわ」
少しだけ不自然に、本多が視線を背けた。それはまるで、何かから逃げるようにも見えた。
本多の視線の動き方が、楓から逃げているように見えたのは、ひょっとしたら〝楓と本多の関係〟を気にし過ぎている慧の先入観からかもしれない。ただ、煙草を吸って来ると言った本多の指先は、いつものようにポケットの中にある煙草には触れていなかった。