山猫は歌姫をめざす
だが留加は、慧一の射るような眼差しにひるむことも、身分違いをわきまえろという物言いに不快感を示すこともなかった。

ただ眉を寄せ、未優を信じられないものでも見るようにして、見つめる。

「『山猫』の、当主の娘……? 君は……君は、本当に馬鹿なんだな」

留加の言葉に慧一は眉を上げた。

「確認せずとも、馬鹿だ。あまりの馬鹿さかげんに、愛しさを覚えるほどにな」
「ちょっと!」

あまりにも馬鹿だ馬鹿だと連呼され、ふと我に返った未優が声を荒らげる。
そんな彼女の前で、留加は立ち上がって頭を下げた。

「非礼はわびよう。すまなかった。……他に、代償を払う必要が?」

慧一を見やって告げ、返答がないのを確認すると、留加は、すっかり消え失せた朝もやを惜しむようにして、森の小道へと歩いて行った。

「留加っ」

その背中に呼びかけ、未優は留加と交わしたわずかな会話から、思いついたことを問う。

「あなた、どこかに所属してる? それともフリー? もしそうなら──」
「……君が本気で“歌姫”になるというのなら、君のために弾いてもいい」

先日とは違い、留加は未優に向き直った。手にしたヴァイオリンケースを掲げる。

「君の歌声は、おれのヴァイオリンと合うだろう。その共鳴した響きを、おれ自身、この耳で確かめたい。

だが」
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