山猫は歌姫をめざす
「何? あたしにできることなら、なんでも言って?」
「……歌って、くれないか? なんでもいいから……君の歌を、聴かせてくれ」

うわごとのように告げる留加に、未優はくすっと笑った。返事の代わりに、シューベルトの『アヴェ・マリア』を歌いだす───。


†††††


母親が『アヴェ・マリア』を弾いている時、留加は家に入ることをためらう。それは、母親が父親を想って弾いているのを知っているからだ。

くるり、と、留加は、きびすを返した。ヴァイオリンケースを抱えたまま来た道を戻って行く。木枯らしが吹いていた。

「寒いわね」

首をすくめた時、頭の上からそんな声がして、次いでマフラーを巻かれた。
仰ぎ見れば、毛糸の帽子を被った褐色の肌の少女が、こちらを見ていた。
白金の長い髪が風に(あお)られて、生き物のように宙を舞う。

「あなた、いつもこの辺りでヴァイオリンを弾いている子よね? 名前は?」
「…………留加」

首にあるマフラーに留加はとまどい、少女とマフラーを交互に見つめる。

少女が笑って言った。

「しばらく貸してあげる。……その代わり、暖まったら、私のために一曲弾いてもらってもいいかしら」
「わかった」
< 174 / 252 >

この作品をシェア

pagetop