山猫は歌姫をめざす
「ひょっとして留加、風邪ぎみなの? じゃ、早く家に帰らないとね。
───はい。これ、被っていいわよ」

シェリーは毛糸の帽子を脱いで、留加の頭にすっぽりと被せた。
いつものように留加と視線を合わせ、シェリーは微笑む。

「また、明日ね」

留加は、シェリーの白金髪のなかにある『犬』の耳に驚く。思わず、まじまじと見つめた。
シェリーはいたずらっぽく笑って、留加の鼻先を弾いた。

「こら! そんなにジロジロ見ないのよ? 失礼でしょ」
「失礼、なの? ……ごめんなさい。
でも、僕、お姉さんの耳、かわいいと思って……だから」

首をすくめて上目遣いにシェリーを見上げる。
するとシェリーは、そんな留加に抱きついてきた。ふふっと、笑う。

「もう! どっちが可愛いんだかわからないわ」

突然つつまれた柔らかなぬくもりに、留加の心臓が、はねる。

久しぶりに感じた人肌の温かさは、せつないほどに優しくて……泣いてしまいそうだった。

───ふたりで楽しく過ごした時間も、優しいぬくもりに触れた時間も、確かにあったのだ。
なぜそれを、自分は忘れてしまったのだろうか……?

(つらい出来事と共に、それすら手放そうとしていた)

大切な想い出を。あの頃の自分は、確かに「幸せ」だったのかもしれない。
そう思った時、「幸せになって欲しい」と言った声の持ち主が、自分の名前を呼んだ───。
< 178 / 252 >

この作品をシェア

pagetop