山猫は歌姫をめざす
「そうなる前に辞めさせてくれ、と言っている」
「なんだい、まぎらわしいねぇ。ったく、抱きしめるくらい挨拶でだってするだろう」
「……恋情をもって触れるなと言ったのは、あなただったと思うが?」

響子は笑った。
まったく生真面目なことだ。だが───それならば、問題ないだろう。

真顔になって、響子は留加を見据える。

「留加。アタシはこうも言ったはずだ。中途半端な愛情は、かえって苦しめることになる。そうなる前に身を引け、とね。
お前さんがそういう想いで自分に接したことくらい、あの子だって気づいているだろうよ。それを、放り出すって?」
「……いまさらだということは、解っている。だが」

瞬間、ダンッと響子が大机を叩いた。

「甘えんじゃないよっ! お前さんは、何も解っちゃいない! 一度寄せられた想いを、なかったことにしろって言われて、納得できるかってんだ!
男なら、最後まで責任もって、愛してやんなっ」

突然、怒鳴られ、留加は驚いて響子を見返した。あまりにも感情的な響子に、二の句が継げない。

響子はそんな留加の様子に、ハッと我に返った。自分を落ち着かせるように、タバコに手を伸ばす。

私情が入ったことは否めない。
あぁ、早く《大人》になりたいものだと、響子は胸の内でつぶやく。
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