山猫は歌姫をめざす

【5】甘美な歌声──『愛のあいさつ』


       5.

『人魚姫』の第三幕は、王子が偶然通りがかった娘を命の恩人と勘違いし、王子と娘の結婚が決まってしまうところで終わっていた。

留加の弾く『愛のあいさつ』が流れだすと、館内の空気がざわついた。

悲劇を迎えるはずの終幕に甘美な音色はそぐわないと、誰もが思ったその時。

未優の透き通った優しい歌声が響いた。一瞬で、人の心のうちを清らかにさらっていく歌声は、確かに悲しみを伝えてくる。

しかしそこに、切々とした訴えかけるような、苦しみを解って欲しいというような、押しつけがましさはない。

ただ純粋に悲しみが表現されているからこそ、聴く者の心に、深い悲しみが宿り、胸を痛ませた。

『この短剣で、あの方に血を流させれば、わたくしは人魚に戻れると、そうおっしゃるのですね、お姉様……!』

掲げられた未優の手に、そんな短剣など存在しない。だが、そこに《在る》と、観客は皆、感じていた。

人魚姫は、惑う。

王子は自分を命の恩人だとは気づかず、そして自身も声を失い、王子に伝えるすべをもたない───。

『あの方を(あや)めれば、わたくしは……』

身体が、小刻みに震える。だが───。

人魚姫は、短剣を海へ投げ捨てた。その顔に、穏やかな笑みが浮かぶ。
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