山猫は歌姫をめざす
『いいえ! いいえ、お姉様。わたくしは幸せなのです。
あの方のもとで、あの方と共に在れたこと、微笑みを向けられたこと。
わたくしを呼ぶ、あの方の声音が、今もこの胸に在ること』

側にいられたこと。優しい言葉をかけられたこと。
その想い出が、甘くて優しい痛みを伴い、人魚姫の胸の内に宿っていた。

やわらかな語り口調から、ごく自然に変化した歌声は、甘美な弦の音色と重なり合う。

舞台端まで歩を進めた未優は、そこから、ふわりと宙を舞った。
海の碧を映した色のドレスが、羽根のように広がった。

ゆるやかで、優雅な跳躍は、人魚姫が海に身を投げたことを物語っていた。

音もなく着地した未優は、舞台の中央で、祈るような人魚姫の最期の想いをよく響く、澄んだ声音で告げる。

『海の泡と消えても、わたくしの想いは、ここに───』

その声音が、わずかな沈黙ののち、天から降り注ぐ光のような歌声を、放つ。

甘すぎないヴァイオリンの旋律が人魚姫の高潔な魂と共鳴し、清らかで無垢(むく)な歌声が、無償の愛の行く末を気高く(たた)えていた。

(留加……あなたに会えて、良かった……)

歌いながら、未優は留加を想う。

大好きで、大切な人を。
愛おしくて狂おしいこの想いは、人魚姫の……そして未優の想いだった。
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