山猫は歌姫をめざす
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留加は“奏者”の位置につき、未優は舞台の中央にまで進み出た。

客席に何人かの人影が見えたが年齢も、男か女かなどと判断するような余裕もなく、未優は一礼した。

後方の留加に合図を出し、未優は両腕を前へとゆっくりと掲げた。

ヴァイオリンの音色が静かに響きだす。甘く軽やかな音が空間を渡っていく。

『どうか、願いを叶えて。あの方の側へ。そのためなら、どんな代償でもはらいましょう』

語る声は、透明な歌声へと変化する。
一音ごとに、留加の奏でるヴァイオリンとの共鳴が高まっていく。

(この感じ──)


恋に落ちた人魚姫は、自分。
留加と共に()ることを望んででも、恋を愛を、得られないのを知っている。……だからこそ得られる、甘美な痛み。

(そこに、いてくれること)

「声」を失う痛みは、新たな「幸せ」をもたらす。人魚姫の喜びは、自分の喜び。

未優は高音で歌いながら、ステップを軽やかに踏んで、そして優雅に宙を舞った。
──彼女の跳躍力があってこその、滞空時間の長い飛翔で。

『声にならずとも、伝えて。私の想いを、あの人に』

着地と同時にひざまずき、語る言葉は、未優(じぶん)か、人魚姫か。

留加の奏でる音色が、未優を導き、未優の歌声が、留加のヴァイオリンを歌わせる。

──心地よい共鳴。

だから留加は、迷わないのではなく。もう、迷えなかった。
知ってしまった悦びを、手放すことはできないのだから……。



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