山猫は歌姫をめざす
(留加……)

触れて欲しい相手は別にいるのに。
それでも、なんの愛情ももてない男と身体を交わすのが娼婦なら、そうするしかないだろう。
──本当に、“歌姫”になりたいというなら。

だが、未優は立ち上がれなかった。

無理だ、そんなこと。自分の身体を売るなんて、そんなこと、できない。

(留加、あたし……!)

ぎゅっと目をつぶって、歯をくいしばる。

留加は、廊下で待っているはずだ。
自分が“歌姫”になるのをあきらめたと言ったら、彼はどんな顔をするだろう?
軽蔑(けいべつ)する? 落胆する? 嘆く?
──いや、そのどれにも当てはまらないはずだ。

留加は、未優が“歌姫”を目指しているから、未優と関わってくれているのだ。
未優が“歌姫”にならないのなら彼の道と自分の道は、これから先、交差することはないはずだ。

──無関心。それが、未優に対する留加の態度となるだろう。初めて会った、あの日のように。

(そんなこと、耐えられない……!)

せっかく、少しずつではあるが留加が自分に歩み寄ってきてくれていたのに。それを、手放してもいいのだろうか……?

『君のために、弾こう』

かけがえのない、未優の行く手を照らす、光のような言葉。そして、それによってもたらされる、至福の時間。
留加と共に奏でる旋律は、未優をどこまでも高みへと連れていく。──それを、自分は。
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