山猫は歌姫をめざす
未優は大きく息を吸い、吐いた。
ゆっくりと立ち上がり、響子に言われたドアを開ける。

壁ぎわに置かれた長椅子と、床に散らばり脱ぎ散らかされた衣服。鏡台は整然としていたが、あとはひどい有様だ。
……誰も、いない。

(……覚悟を、試されたの……?)

奇妙な安堵(あんど)と、さきほどまでの苦悩が交錯し、未優はその場にへたりこむ。寿命が縮んだ……。
瞬間、パタン、と、扉の閉まる音がした。次いで、目隠しをされる。

「だーれだ?」

完全に絶たれていた気配と、無邪気な明るい声。そして、このような行動をとる人物には、一人しか心当たりがない。

「……薫でしょ」
「当たり! やだな、未優。ひょっとして、僕にずっと会いたかったんじゃない? そんなにあっさり答えちゃってさ」

ふふっと笑って、薫は後ろから未優を抱きしめる。ムッとして未優は、その腕を振り払った。
「ちょっと、何すんのよ、あんた! 放しなさいよ!」
「……なに言ってんの、未優。この部屋に、なんのために入って来たの?」

片方の手首をつかまれ、未優はびっくりして薫を仰ぎ見た。

「……冗談でしょ?」
「こういうの、役得っていうのかな?」

未優は絶句した。抵抗する気力も失せ、呆然と薫を見返す。そんな未優を自分に引き寄せ、薫はささやいた。
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