山猫は歌姫をめざす
初めて未優が“歌姫”の存在を知ったのは、十二歳の時だ。
テレビに映しだされた“舞台”の模様。歌い踊りながら、彼女は『人魚姫』を語った。
チェロの奏でる旋律に合わせ、甘美な歌声と共に全身で物語を表現していた。
未優はそれを、病床の母親に身振り手振りで話して聞かせた。
主治医から許される限られた時間のなか、未優が歌い踊りだすと母親は喜んで続きをせがんだ。
当時の未優は『人魚姫』の悲しい結末を知らずにいた。
だから、“歌姫”が語ってみせた一場面、人間になった人魚姫と王子の再会の後を、王子が人魚姫を思いだし、幸せに暮らしたと勝手に“解釈”して語った。
ある日、母親がヴァイオリンを弾いてみせた。エルガーの『愛のあいさつ』だと未優は教わった。
この曲に合わせて、歌い踊り語ってくれと言われ、未優は素直に従った。
喜んでくれた母。微笑んでくれた母。
優しい音色に包まれて、日に日に母との面会時間は減っていったが、それでも未優は、貴重な時間を幸せに過ごした──おそらく、彼女の母親も。
最後に自らの命を削るようにして奏でた旋律が、ヴィタリの『シャコンヌ』だった訳を語らずに、母は帰らぬ人となった。