山猫は歌姫をめざす
†††††
慧一は手にした契約書を、隣に座った未優の前のテーブルへとすべらせた。
「問題ないだろう。お前が良ければ、サインしろ」
未優はうなずいて、署名する。
(ホントは、自分で読んで納得してサインする、っていうのが正しいんだろうけど……)
“第三劇場”にて“歌姫”『禁忌』として雇われることの契約書類。
十数枚に及ぶそれらの最初の二三行の文章で未優はギブアップし、慧一に目を通してもらったのだった。
(だって、甲とか乙とか、わけわかんないよ……)
学業成績は、ほとんどがEという最低評価だった学生時代。
未優は学校に、体育と音楽と給食と、それから級友と会うのを楽しみに行っていたようなものだった。
「契約成立だね。そんじゃまぁ、あとの説明はリョーコとシローに任せて、アタシャちょっと寝るからね、頼んだよ」
思いきり伸びをしながら、響子が隣室へと入っていく。
支配人室に残されたのは、未優と慧一と留加、そして“歌姫”の世話係である清史朗と、響子の秘書で実の妹だという涼子の五人だった。
響子の手から渡された契約書をざっとチェックし、一部を未優に渡し、残ったそれを手元のファイルにしまいこむと、涼子はちらりと腕時計に目を落とした。