転生令嬢は腹黒夫から逃げだしたい!
世界が壊れていく。ヒビ割れて、悲鳴をあげて、崩れていく。
夢の時間は終わったのだ。エルトリーゼは文字通り割れる空をぼんやりと見あげていた。
「エルトリーゼ、気はすんだのか?」
アヴェルスの問いに、彼女は視線を移して頬を膨らませる。
「意地悪ね、分かってるでしょ。もう二度と安易に現実から逃げようなんて考えないわ」
ふと、崩れ落ちていく空の破片に映像があるのに気づいた。
それと共に、声が降って来る。
――それは、セツナ・ドウジマの葬儀の日の映像だった。
『セツナ、ごめん……ごめん……俺があのとき、離れなければ』
シヅルの声に、エルトリーゼは瞳を見開いた。
泣き崩れる彼に「あなたのせいではない」と、本当は言いたかった。
けれどもう、それを伝えるべき相手はどこにも居ないのだ。
――それは、シヅルが一人で迎えた花火大会の日の映像だった。
彼は何も言わない。ただ、虚ろな表情をしたその頬を涙が伝って落ちた。
きっと、とても、とても苦しめてしまった。
セツナが知らない、シヅルの一人きりの時間だ。
――それは彼の生涯を綴った映像であったと思う。
やがて心の整理をつけたのか彼は前を向いて生きていった。
けれどどこかには、セツナという若くして消えた少女の面影が残っていたのかもしれない。
新しい恋人ができて、結婚して、家庭を持って、そしてやがて死ぬ行く。
きっと、セツナを喪った傷自体は時と共に癒えたのだろう。この世界がこうであったのは、彼がセツナを喪ったその時のままだったからだ。
なぜなら、エルトリーゼが望んだ戻りたい時間が、その頃だったから。
「あー……嫌だ嫌だ、おまえの前世の恋人とか、なんで俺まで一緒に見せられなきゃならねぇんだ」
軽く肩をすくめてみせるアヴェルスだが、その表情はどこか拗ねているように思えた。
もしこれが気のせいではなくて、エルトリーゼにも少しは分かるようになったのだとしたら、少しだけ嬉しいものだ。
「しかも、それにそっくりなやつが今の世界にも居て、さらにそれが俺の部下だとか、冗談キツいぜ」
「私が好きなのはあなたよ」
厭味っぽいアヴェルスの言葉に苦笑して、あえて素直に告げると彼は目を丸くしていた。
どこか幼さの残る表情だったと思う、けれどまるで隠すように一瞬で歪な笑みに変わってしまう。もっと見ていたかったのに。
「どうだか……ま、大根役者のおまえが俺にうまい嘘をつけるわけもないか。助けてやったんだから、褒美は期待してるぜ?」
アヴェルスの言葉に、エルトリーゼはむっと眉を寄せる。
「だ、だから! あんたにいったい何をあげればいいっていうのよっ! だいたいの物は自分で手に入れられるでしょ!」
欲しい物なんてなんだって手に入るだろう。食べ物でも宝石でもなんでも。
それでは、エルトリーゼは彼に何を渡せばいいのか分からない。
自覚しているが、料理や裁縫は得意ではないし、エルトリーゼの作った物などアヴェルスは必要としないだろう。しかし……。
「おまえの作った物ならなんでもいいし、おまえが俺のためにしてくれることならなんでもいい」
「――は?」
今度はエルトリーゼが目を丸くした。アヴェルスがこんなことを言いだすとは思っていなかったのだ。
アヴェルスはその反応に不満そうな顔をした。
「なんだよ、その反応」
「だ、だって、そんなのなんの意味も……わ、私、本当に料理とか裁縫とか駄目だし、できることなんて、何も……ないし……」
エルトリーゼがぼそぼそと告げると、彼は意地悪く笑った。
「安心しろよ、毒への耐性はあるからさ」
「毒って! そこまでじゃ……そこまで……じゃあ……な、くはない、かも……」
否定しきれない、そのくらいには料理は特に自信がないし。いや、裁縫なども同じことだ、ぬいぐるみを縫おうとして怪物ができあがったのはある意味天才的だったかもしれない。
「なんにせよ戻ったら労ってもらうからな、おまえが前世の恋人といちゃつくのをさんざん見せられた俺の気持ちにもなれよ」
思えば彼はナツとしてここに居たのだから、つまり、そういうことだ。
「どうしてナツに?」
エルトリーゼの素朴な疑問に、彼は軽く肩をすくめてみせる。
「この仮初の世界にナツって存在は居なかった。ただ、おまえの前世には俺と似たようなやつが居たと知ったから、都合がいいと思ってそいつになりすましてただけさ。この姿ならシヅルって男にも怪しまれないと思ったしさ」
「ど、どうやってひとの前世なんか……」
多少は恥ずかしい。知られたくないことまで知られていないだろうか?
「魔法はおまえが思ってる以上に色々できる、そしておまえが思ってる以上に危険でもあるってことだ」
「……む」
エルトリーゼは天才的に魔法の才能がなかったために、簡単なものしか扱えない。
セツナとしての記憶があるエルトリーゼにはあまりに異端で、常識が邪魔して使いこなせなかったのだ。
「アヴェルス、本当に助けてくれてありがとう……あなたは、私よりいっぱい仕事があったのに」
エルトリーゼ以上にたくさんの責任を抱えている彼が数日も失踪したのだろうから、大変な迷惑をかけてしまった。
きちんとお礼を述べると、彼は変わらず意地悪な笑みをうかべる。
「安心しろよ、仕事なら俺の影武者がつつがなくやってる」
「さすがだわ」
こんなのが二人も三人も居たら怖いと思っていると、やがて世界が歪み始める。戻るのだろう。
夢の時間は終わったのだ。エルトリーゼは文字通り割れる空をぼんやりと見あげていた。
「エルトリーゼ、気はすんだのか?」
アヴェルスの問いに、彼女は視線を移して頬を膨らませる。
「意地悪ね、分かってるでしょ。もう二度と安易に現実から逃げようなんて考えないわ」
ふと、崩れ落ちていく空の破片に映像があるのに気づいた。
それと共に、声が降って来る。
――それは、セツナ・ドウジマの葬儀の日の映像だった。
『セツナ、ごめん……ごめん……俺があのとき、離れなければ』
シヅルの声に、エルトリーゼは瞳を見開いた。
泣き崩れる彼に「あなたのせいではない」と、本当は言いたかった。
けれどもう、それを伝えるべき相手はどこにも居ないのだ。
――それは、シヅルが一人で迎えた花火大会の日の映像だった。
彼は何も言わない。ただ、虚ろな表情をしたその頬を涙が伝って落ちた。
きっと、とても、とても苦しめてしまった。
セツナが知らない、シヅルの一人きりの時間だ。
――それは彼の生涯を綴った映像であったと思う。
やがて心の整理をつけたのか彼は前を向いて生きていった。
けれどどこかには、セツナという若くして消えた少女の面影が残っていたのかもしれない。
新しい恋人ができて、結婚して、家庭を持って、そしてやがて死ぬ行く。
きっと、セツナを喪った傷自体は時と共に癒えたのだろう。この世界がこうであったのは、彼がセツナを喪ったその時のままだったからだ。
なぜなら、エルトリーゼが望んだ戻りたい時間が、その頃だったから。
「あー……嫌だ嫌だ、おまえの前世の恋人とか、なんで俺まで一緒に見せられなきゃならねぇんだ」
軽く肩をすくめてみせるアヴェルスだが、その表情はどこか拗ねているように思えた。
もしこれが気のせいではなくて、エルトリーゼにも少しは分かるようになったのだとしたら、少しだけ嬉しいものだ。
「しかも、それにそっくりなやつが今の世界にも居て、さらにそれが俺の部下だとか、冗談キツいぜ」
「私が好きなのはあなたよ」
厭味っぽいアヴェルスの言葉に苦笑して、あえて素直に告げると彼は目を丸くしていた。
どこか幼さの残る表情だったと思う、けれどまるで隠すように一瞬で歪な笑みに変わってしまう。もっと見ていたかったのに。
「どうだか……ま、大根役者のおまえが俺にうまい嘘をつけるわけもないか。助けてやったんだから、褒美は期待してるぜ?」
アヴェルスの言葉に、エルトリーゼはむっと眉を寄せる。
「だ、だから! あんたにいったい何をあげればいいっていうのよっ! だいたいの物は自分で手に入れられるでしょ!」
欲しい物なんてなんだって手に入るだろう。食べ物でも宝石でもなんでも。
それでは、エルトリーゼは彼に何を渡せばいいのか分からない。
自覚しているが、料理や裁縫は得意ではないし、エルトリーゼの作った物などアヴェルスは必要としないだろう。しかし……。
「おまえの作った物ならなんでもいいし、おまえが俺のためにしてくれることならなんでもいい」
「――は?」
今度はエルトリーゼが目を丸くした。アヴェルスがこんなことを言いだすとは思っていなかったのだ。
アヴェルスはその反応に不満そうな顔をした。
「なんだよ、その反応」
「だ、だって、そんなのなんの意味も……わ、私、本当に料理とか裁縫とか駄目だし、できることなんて、何も……ないし……」
エルトリーゼがぼそぼそと告げると、彼は意地悪く笑った。
「安心しろよ、毒への耐性はあるからさ」
「毒って! そこまでじゃ……そこまで……じゃあ……な、くはない、かも……」
否定しきれない、そのくらいには料理は特に自信がないし。いや、裁縫なども同じことだ、ぬいぐるみを縫おうとして怪物ができあがったのはある意味天才的だったかもしれない。
「なんにせよ戻ったら労ってもらうからな、おまえが前世の恋人といちゃつくのをさんざん見せられた俺の気持ちにもなれよ」
思えば彼はナツとしてここに居たのだから、つまり、そういうことだ。
「どうしてナツに?」
エルトリーゼの素朴な疑問に、彼は軽く肩をすくめてみせる。
「この仮初の世界にナツって存在は居なかった。ただ、おまえの前世には俺と似たようなやつが居たと知ったから、都合がいいと思ってそいつになりすましてただけさ。この姿ならシヅルって男にも怪しまれないと思ったしさ」
「ど、どうやってひとの前世なんか……」
多少は恥ずかしい。知られたくないことまで知られていないだろうか?
「魔法はおまえが思ってる以上に色々できる、そしておまえが思ってる以上に危険でもあるってことだ」
「……む」
エルトリーゼは天才的に魔法の才能がなかったために、簡単なものしか扱えない。
セツナとしての記憶があるエルトリーゼにはあまりに異端で、常識が邪魔して使いこなせなかったのだ。
「アヴェルス、本当に助けてくれてありがとう……あなたは、私よりいっぱい仕事があったのに」
エルトリーゼ以上にたくさんの責任を抱えている彼が数日も失踪したのだろうから、大変な迷惑をかけてしまった。
きちんとお礼を述べると、彼は変わらず意地悪な笑みをうかべる。
「安心しろよ、仕事なら俺の影武者がつつがなくやってる」
「さすがだわ」
こんなのが二人も三人も居たら怖いと思っていると、やがて世界が歪み始める。戻るのだろう。