転生令嬢は腹黒夫から逃げだしたい!
◇どうしてあなたがここに居るの?◆
それから数日、エルトリーゼは何度も中庭の下見に行っていた。とはいえ、近くまでだが。なぜなら、警備が厳しい上にメイドに止められるからだ。
『ここから先への立ち入りは殿下のお許しがなければ……私たちの首が飛んでしまいます』と。
(なんっつー脅しを考えるのよあいつは! そう言われたらこっちだって無理強いできないじゃないの!)
クビになる、とかではない。処刑されるという笑えない話なのだ。どちらも笑えたことではないが、処刑なんて物騒すぎる。
あの男のことだ、冗談ではなく本気でやりかねないが、一応脅しなのだろう。
新月はもうすぐだ、だからできればそれまでに抜け道を見つけておきたいのだが。
今日も今日とて薄暗くなった頃にメイドを振り切って中庭の近くまでやって来たエルトリーゼはまた首を傾げる。なぜなら、中庭には湖など無いからだ。
(んー……どういうことなのかしら、湖なんてないわ。でも不自然よね、生垣が何かを囲んでいるような形をしているもの)
噴水などもないのに、円形に整えられた生垣が中央にある。
(と、いうことは、やっぱりここで間違いないのよね。あの真ん中が怪しすぎるもの)
ふむふむ、と頷いたときだった。
「何してくれてんだよ、おまえは」
うしろから聞こえた唸るような低い声に、エルトリーゼはビクッと身体を揺らして慌てて振り返る。そこにはアヴェルスの姿があった。
「な、なんであんたがここに居るのよっ!」
「なんでなんておまえの胸に手を当てて考えるんだな、毎日毎日中庭に通い詰めやがって」
「だ、だって――」
しかし、エルトリーゼはアヴェルスのうしろに控えていた人物を見て水色の瞳を見開いた。
「え?」
ぽつりと声がこぼれ落ちる。
アヴェルスは怪訝そうにエルトリーゼを見つめていたが、彼女の唇からこぼれた名前に紫の双眸を見開いた。
「シヅル……?」
エルトリーゼの視線を追って振り返ったアヴェルス。
そこには、二人の様子を不思議そうに眺めていた騎士――レディウスの姿があった。
「ど、どうしてあなたがここに?」
戸惑うエルトリーゼ、けれどレディウスはもっと戸惑っているようだった。
「エルトリーゼ様? 私はシヅルという名では……アヴェルス様の護衛を務めさせて頂いております、レディウス・エイゼレーラと申します」
彼女を落ち着かせようとしたのか、レディウスは正式な名を名乗るが、エルトリーゼは心ここにあらずといった様子だった。
一瞬の間、アヴェルスは悔しげに舌打ちをするとエルトリーゼの細い手首を強引に掴んで歩きだす。
「え、ちょ、アヴェルス! 待って、私、彼と――」
話をしたい、と、言う前に彼の嘲笑を含んだ言葉が返ってくる。
「前世の恋人にそっくりだ、って、顔に書いてあるぜ。反吐がでる」
「な、あんたには関係ないでしょ!」
吐き捨てるような言葉、そしてレディウスとの会話を遮られた怒りからエルトリーゼが叫ぶと、静かで低い声が返ってくる。
「関係ない……?」
立ち止まり、振り返った彼の紫色の双眸は今まで一度も見たことがないほど怒りと憎しみに燃えているように思えた。
「あぁ……ああそうかよ、だったら俺もおまえの都合なんざ関係ねえ」
強く抱き寄せられて唇が重なり、エルトリーゼは双眸を見開いた。
「ん、んーっ!」
抵抗しようとしても力ではまったく敵わずされるがままに貪られる。
しかしようやく我に返ったエルトリーゼはアヴェルスの舌を噛んだ。
「っ」
「この……! 何するのよ!」
彼の身体を突き飛ばすと、悲しそうな紫色の双眸が視界に映って、エルトリーゼは面喰った。どうせ厭味を言われるだろうと思ったのだが……。
「おまえは死んだんだろ? その男はもうどこにも居ないだろ! どんなに似てたとしてもな!」
苦しげな彼の声に、急に罪悪感が湧いてくる。
エルトリーゼは彼がなぜそんなふうに言うのか分からない、だってアヴェルスはユーヴェリーを愛していて、エルトリーゼは重荷でしかないはずで……。
「いい加減、過去の呪いに縛られる人生なんざやめちまえ、おまえはエルトリーゼだ、それ以外の誰でもない」
「な……んで、あんたにそんなこと言われなくちゃいけないのよっ! あんたのほうこそ、私のことなんか好きじゃないくせに!」
エルトリーゼの言葉にアヴェルスは小さくため息を吐いた。
「……それが、ここから逃げだしたい理由か?」
「そ、れだけじゃないけど……」
仮にアヴェルスが自分を好きだと言ってくれれば変わるのかと言われると疑問ではある。
問題はそこだけではないからだ。
シヅルと約束した、花火大会に行こうと。けれどさよならさえ言えなかった。
「じゃあ、やっぱり前世の男に未練があるんじゃないか」
「ち、ちが……私はただ、シヅルに……さよならを……言いたいだけで」
「嘘つけ、それだけじゃないだろ」
思わず「う……」と言葉に詰まった。アヴェルスに嘘をつこうなど百年早いのかもしれない。
確かに、さようならを言いたいというだけではない、もう一度シヅルに逢いたいという気持ちもある。
「あ……あんたにだけは……責められたくないわ」
ぼそぼそと告げたエルトリーゼに、アヴェルスは眉を顰めた。
「なら、俺がおまえを好きだと言ったら?」
「は?」
淑女にあるまじき素っ頓狂な声がこぼれおちた。この男は何を馬鹿なことを言っているのだろうか?
しかしアヴェルスの表情は真剣そのものだ、冗談を言っているふうではない。
「あ、あんたはユーヴェリー様が……」
「俺はおまえと結婚した。だったら、俺がおまえを大切にするのは普通のことだろ」
少しの間をあけて、エルトリーゼが唇をわななかせる。
「し……尻軽はどっちよ! そんな言葉信じろっていうの!? どうせそれだってユーヴェリー様に最悪な男だと思われたくないからなんでしょ!?」
それしか考えられないと思って言ったのだが、アヴェルスは苛立たしげに舌打ちをする。
「チッ、この頑固頭。いいか、俺は――」
言葉の途中で、アヴェルスは額をおさえてふらついた。
「え、ちょっと、アヴェルス?」
慌ててエルトリーゼが彼の身体を支える。そして前世からの勘で彼の額に手をあてると、案の定とても熱い。
「ば、馬鹿! あんた……体調が悪いんじゃないのっ!」
「このくらい……たいしたことじゃない」
いつものように完璧にそれを押し隠そうとするアヴェルスを腹立たしく思った。きっと彼はエルトリーゼや一部の人間の前でしか、この本性も弱みも見せないのだろう。
自分の前では演技をする必要がなく、気が緩んだのだろうと思う。
「たいしたことかどうかは医者が決めるのよ! 待ってなさいよ、誰か呼んでくるから――」
しかし駆け出そうとするエルトリーゼの腕を掴むと彼はその細い身体を抱きしめた。
「ちょ、あんたねえ!」
「部屋まで自分で戻れる。医者はいいから、おまえが傍に居てくれ」
耳元で囁かれた掠れた声に、頬が赤く染まっていくのを感じる。我ながら馬鹿馬鹿しい、この男は自分のことなどなんとも思っていないだろうに。
「それに……誰か呼んでくるって……どうせレディウスだろ、あいつとおまえを会わせたくない」
まるでやきもちか何かのようだ。あまりにも馬鹿馬鹿しい。
けれどエルトリーゼは大きなため息を吐いて頷いた。
「分かったわよ、傍に居てあげる。だからちゃんと休んでよ」
『ここから先への立ち入りは殿下のお許しがなければ……私たちの首が飛んでしまいます』と。
(なんっつー脅しを考えるのよあいつは! そう言われたらこっちだって無理強いできないじゃないの!)
クビになる、とかではない。処刑されるという笑えない話なのだ。どちらも笑えたことではないが、処刑なんて物騒すぎる。
あの男のことだ、冗談ではなく本気でやりかねないが、一応脅しなのだろう。
新月はもうすぐだ、だからできればそれまでに抜け道を見つけておきたいのだが。
今日も今日とて薄暗くなった頃にメイドを振り切って中庭の近くまでやって来たエルトリーゼはまた首を傾げる。なぜなら、中庭には湖など無いからだ。
(んー……どういうことなのかしら、湖なんてないわ。でも不自然よね、生垣が何かを囲んでいるような形をしているもの)
噴水などもないのに、円形に整えられた生垣が中央にある。
(と、いうことは、やっぱりここで間違いないのよね。あの真ん中が怪しすぎるもの)
ふむふむ、と頷いたときだった。
「何してくれてんだよ、おまえは」
うしろから聞こえた唸るような低い声に、エルトリーゼはビクッと身体を揺らして慌てて振り返る。そこにはアヴェルスの姿があった。
「な、なんであんたがここに居るのよっ!」
「なんでなんておまえの胸に手を当てて考えるんだな、毎日毎日中庭に通い詰めやがって」
「だ、だって――」
しかし、エルトリーゼはアヴェルスのうしろに控えていた人物を見て水色の瞳を見開いた。
「え?」
ぽつりと声がこぼれ落ちる。
アヴェルスは怪訝そうにエルトリーゼを見つめていたが、彼女の唇からこぼれた名前に紫の双眸を見開いた。
「シヅル……?」
エルトリーゼの視線を追って振り返ったアヴェルス。
そこには、二人の様子を不思議そうに眺めていた騎士――レディウスの姿があった。
「ど、どうしてあなたがここに?」
戸惑うエルトリーゼ、けれどレディウスはもっと戸惑っているようだった。
「エルトリーゼ様? 私はシヅルという名では……アヴェルス様の護衛を務めさせて頂いております、レディウス・エイゼレーラと申します」
彼女を落ち着かせようとしたのか、レディウスは正式な名を名乗るが、エルトリーゼは心ここにあらずといった様子だった。
一瞬の間、アヴェルスは悔しげに舌打ちをするとエルトリーゼの細い手首を強引に掴んで歩きだす。
「え、ちょ、アヴェルス! 待って、私、彼と――」
話をしたい、と、言う前に彼の嘲笑を含んだ言葉が返ってくる。
「前世の恋人にそっくりだ、って、顔に書いてあるぜ。反吐がでる」
「な、あんたには関係ないでしょ!」
吐き捨てるような言葉、そしてレディウスとの会話を遮られた怒りからエルトリーゼが叫ぶと、静かで低い声が返ってくる。
「関係ない……?」
立ち止まり、振り返った彼の紫色の双眸は今まで一度も見たことがないほど怒りと憎しみに燃えているように思えた。
「あぁ……ああそうかよ、だったら俺もおまえの都合なんざ関係ねえ」
強く抱き寄せられて唇が重なり、エルトリーゼは双眸を見開いた。
「ん、んーっ!」
抵抗しようとしても力ではまったく敵わずされるがままに貪られる。
しかしようやく我に返ったエルトリーゼはアヴェルスの舌を噛んだ。
「っ」
「この……! 何するのよ!」
彼の身体を突き飛ばすと、悲しそうな紫色の双眸が視界に映って、エルトリーゼは面喰った。どうせ厭味を言われるだろうと思ったのだが……。
「おまえは死んだんだろ? その男はもうどこにも居ないだろ! どんなに似てたとしてもな!」
苦しげな彼の声に、急に罪悪感が湧いてくる。
エルトリーゼは彼がなぜそんなふうに言うのか分からない、だってアヴェルスはユーヴェリーを愛していて、エルトリーゼは重荷でしかないはずで……。
「いい加減、過去の呪いに縛られる人生なんざやめちまえ、おまえはエルトリーゼだ、それ以外の誰でもない」
「な……んで、あんたにそんなこと言われなくちゃいけないのよっ! あんたのほうこそ、私のことなんか好きじゃないくせに!」
エルトリーゼの言葉にアヴェルスは小さくため息を吐いた。
「……それが、ここから逃げだしたい理由か?」
「そ、れだけじゃないけど……」
仮にアヴェルスが自分を好きだと言ってくれれば変わるのかと言われると疑問ではある。
問題はそこだけではないからだ。
シヅルと約束した、花火大会に行こうと。けれどさよならさえ言えなかった。
「じゃあ、やっぱり前世の男に未練があるんじゃないか」
「ち、ちが……私はただ、シヅルに……さよならを……言いたいだけで」
「嘘つけ、それだけじゃないだろ」
思わず「う……」と言葉に詰まった。アヴェルスに嘘をつこうなど百年早いのかもしれない。
確かに、さようならを言いたいというだけではない、もう一度シヅルに逢いたいという気持ちもある。
「あ……あんたにだけは……責められたくないわ」
ぼそぼそと告げたエルトリーゼに、アヴェルスは眉を顰めた。
「なら、俺がおまえを好きだと言ったら?」
「は?」
淑女にあるまじき素っ頓狂な声がこぼれおちた。この男は何を馬鹿なことを言っているのだろうか?
しかしアヴェルスの表情は真剣そのものだ、冗談を言っているふうではない。
「あ、あんたはユーヴェリー様が……」
「俺はおまえと結婚した。だったら、俺がおまえを大切にするのは普通のことだろ」
少しの間をあけて、エルトリーゼが唇をわななかせる。
「し……尻軽はどっちよ! そんな言葉信じろっていうの!? どうせそれだってユーヴェリー様に最悪な男だと思われたくないからなんでしょ!?」
それしか考えられないと思って言ったのだが、アヴェルスは苛立たしげに舌打ちをする。
「チッ、この頑固頭。いいか、俺は――」
言葉の途中で、アヴェルスは額をおさえてふらついた。
「え、ちょっと、アヴェルス?」
慌ててエルトリーゼが彼の身体を支える。そして前世からの勘で彼の額に手をあてると、案の定とても熱い。
「ば、馬鹿! あんた……体調が悪いんじゃないのっ!」
「このくらい……たいしたことじゃない」
いつものように完璧にそれを押し隠そうとするアヴェルスを腹立たしく思った。きっと彼はエルトリーゼや一部の人間の前でしか、この本性も弱みも見せないのだろう。
自分の前では演技をする必要がなく、気が緩んだのだろうと思う。
「たいしたことかどうかは医者が決めるのよ! 待ってなさいよ、誰か呼んでくるから――」
しかし駆け出そうとするエルトリーゼの腕を掴むと彼はその細い身体を抱きしめた。
「ちょ、あんたねえ!」
「部屋まで自分で戻れる。医者はいいから、おまえが傍に居てくれ」
耳元で囁かれた掠れた声に、頬が赤く染まっていくのを感じる。我ながら馬鹿馬鹿しい、この男は自分のことなどなんとも思っていないだろうに。
「それに……誰か呼んでくるって……どうせレディウスだろ、あいつとおまえを会わせたくない」
まるでやきもちか何かのようだ。あまりにも馬鹿馬鹿しい。
けれどエルトリーゼは大きなため息を吐いて頷いた。
「分かったわよ、傍に居てあげる。だからちゃんと休んでよ」