転生令嬢は腹黒夫から逃げだしたい!
02
エルトリーゼが部屋から出ると、ずっとそこに控えていたのかレディウスの姿があって、驚きに目を見開く。
やはり何度見ても、シヅルとそっくりだ。
「エルトリーゼ様、殿下はお休みになられましたか?」
「え、ええ……」
答えると、レディウスは困ったような表情で言う。
「あのかたはいつも無理ばかりなさるので……ですがエルトリーゼ様がついていてくだされば安心できますね」
口調などはシヅルとは似ていない。いやそれよりも、アヴェルスをエルトリーゼに任せておけば安心だとはどういう意味だろう?
「わ、私が居ても居なくてもアヴェルス様は何も変わらないでしょう」
「私の前でも演技は不要ですよ、エルトリーゼ様。私はアヴェルス様が本当はどういうかたかも存じておりますので」
「え……」
濁音がつきそうな声がこぼれてしまった。
しかしレディウスは気にしたふうでもなく言葉を続ける。
「アヴェルス様が他人の前で眠るなど、そうそう滅多に……いえ、ありえませんので。私も見たことはありませんし、ですがエルトリーゼ様なら気を許されえるのでしょうね」
「たまたまでしょう、体調が悪かったから……」
そんなことは言わないでほしい。まるでアヴェルスが本当にエルトリーゼを大切にしようとしてくれているようだ。
「あのかたは体調や気分などに振り回されるほどやわではありませんよ。あなたの前だと気が緩むのでしょう」
「……ありえないわ」
ぷいっと顔をそむけたエルトリーゼに、レディウスは口元に手をあてて考える仕草をした。
「これは……アヴェルス様があなたとご結婚なさって私は嬉しく思ったのですが。あなたの前でなら、あのかたは演技などしなくていい。どうか、もう少しだけ、あのかたを信じてはくださらないでしょうか? 確かに、本来の性格には問題しかありませんが」
うぬぼれなど持ちたくはなかった。それが虚しく終わるものであるなら余計に。
「あなたはそう言うけれど、アヴェルスはしようがなく私と結婚したのよ、私が居なければ……って、きっと思っているわ」
以前に言われたことでもある。しかしレディウスは首を横に振った。
「それは陛下がそう望まれたからです。ユーヴェリー様では、アヴェルス様は生涯道化のように生きなければならない、かといって他の令嬢でもそれは同じこと。唯一、あなただけがあのかたの本性に勘づいていらしたので、陛下が是非にと」
「……気づかなきゃよかったわ」
思わず本音が口をついて出る。
こんな面倒な男と結ばれることになるなら、いっそ気づかないふりで他の令嬢のようにきゃあきゃあ言っていればよかったのだ。
「そのようなこと。陛下も私も安心いたしましたよ、アヴェルス様は無理を無理と思われないかたなので、あのかたを支えられるのはあなたのようなかただけでしょう」
エルトリーゼがそれに重いため息を吐いている頃、アヴェルスは薄っすらと瞳を開いてその会話を聞いていた。
なるほど、父も周囲もそういうつもりでエルトリーゼを妻に選んだのかと。
だとしたらきっと正解だ、歪な関係はいずれ最悪の終焉を迎える。ユーヴェリーでは、そうなったのかもしれない。
だがエルトリーゼには演技も嘘も必要ない、ただ、問題は……。
――不思議の湖に入っても、あいつは戻って来るだろうか?
◇◇◇
その日はアヴェルスと別室で眠ったのだが、翌日からはそうもいかない。
エルトリーゼは不機嫌そうにソファで眠ろうしていた。夫婦とは言っても互いに望んでそうなったわけではない。それなのにアヴェルスと一緒に眠るなんてごめんだ。
好きでもない男と寝るくらいなら、この広い部屋の隅っこに丸まっているほうがまだマシかもしれない。しかし……。
「おまえってやつはどこまでも俺をイラつかせてくれるな」
軽々と抱きあげられて、エルトリーゼは不満そうにアヴェルスを睨みつけた。
「何よ、どうして私があんたと一緒に寝なくちゃいけないの」
「夫婦だから、それ以上でも以下でもないし他に理由は必要ない。朝にメイドが来て不自然に思われても迷惑なんだよ」
ぽすんとベッドにおろされたエルトリーゼはしようがないと奥のほうに丸まった。
「そ。結局その大層なお立場の問題なわけね」
「……本当に腹が立つな、おまえ」
それだけではないと言いたいのだろうが、それを信じるのはむずかしい。
アヴェルスもベッドに入ると、近くにぬくもりがあって奇妙に落ち着かなかった。
というより、視線を感じる気がする。そう思ってエルトリーゼはしぶしぶアヴェルスを見やった。
「……何よ。何か文句でもあるの? あるなら今すぐ出て行ってやるわ」
「悪かったよ。おまえにキツいことばっかり言ったこと」
ぽつりと降ってきた言葉に、エルトリーゼはむすっと唇を尖らせた。
「同情なら結構よ」
「俺が同情なんかするほど真っ当な人間に見えてんのか、おまえは。だとしたら大根役者なだけでなく人間を見る目もないな」
プツッとエルトリーゼの中で苛立ちの線が切れて、身体ごとそちらへ向けると彼女はすぐ傍で横になっているアヴェルスの頬を軽く抓った。
「悪かったわね! どうせ大根役者よ!」
怒るかと思ったが、意外にもアヴェルスは頬を抓るエルトリーゼの手を軽く掴むと頬から離して、指先にそっと口づけた。
「っ!? な、な、ななな何するのよっ!」
予想外の展開に目をぱちぱちとまたたく彼女に、彼は意地悪く笑った。
「可愛らしいところもあるじゃねえか」
「は、はぁっ!? ばっ、馬鹿にするのも大概になさいよ!!」
からかわれたのだと思ったのだが、アヴェルスはそっとエルトリーゼの頬から耳を撫でて、少し身体を起こして彼女の額にキスをする。
それにまた怒ろうとしたときだった。
「どこにも、行くなよ」
憂いを帯びた彼の顔を見て、エルトリーゼは水色の瞳を不思議そうに見開く。
けれどすぐにどうせ演技なのだと、からかっているのだと思いこもうとする。
きっと自分はとても臆病だ、傷つきたくないのだ。
どうしてそこまで傷つきたくないと思うのか、その理由にはいまだ至れないまま。
「ま。無理だろうけど、おまえは柱に縛りつけといてもそのうちあの場所に行くだろうな」
アヴェルスはふうと小さく息を吐いてエルトリーゼから離れると再び横になった。今度は彼女に背を向けて。
「おまえもさっさと寝ろよ」
彼の表情は分からないが、エルトリーゼは舌打ちを堪えて自分も彼に背を向けた。
「言われてなくてもそーするわよ!」
どうして彼はこんなことをするのだろう。そのことについて深く考えたくない自分は、なぜそれを考えることを拒んでいるのだろう?
迷うべきではない、新月はすぐなのだ。
やはり何度見ても、シヅルとそっくりだ。
「エルトリーゼ様、殿下はお休みになられましたか?」
「え、ええ……」
答えると、レディウスは困ったような表情で言う。
「あのかたはいつも無理ばかりなさるので……ですがエルトリーゼ様がついていてくだされば安心できますね」
口調などはシヅルとは似ていない。いやそれよりも、アヴェルスをエルトリーゼに任せておけば安心だとはどういう意味だろう?
「わ、私が居ても居なくてもアヴェルス様は何も変わらないでしょう」
「私の前でも演技は不要ですよ、エルトリーゼ様。私はアヴェルス様が本当はどういうかたかも存じておりますので」
「え……」
濁音がつきそうな声がこぼれてしまった。
しかしレディウスは気にしたふうでもなく言葉を続ける。
「アヴェルス様が他人の前で眠るなど、そうそう滅多に……いえ、ありえませんので。私も見たことはありませんし、ですがエルトリーゼ様なら気を許されえるのでしょうね」
「たまたまでしょう、体調が悪かったから……」
そんなことは言わないでほしい。まるでアヴェルスが本当にエルトリーゼを大切にしようとしてくれているようだ。
「あのかたは体調や気分などに振り回されるほどやわではありませんよ。あなたの前だと気が緩むのでしょう」
「……ありえないわ」
ぷいっと顔をそむけたエルトリーゼに、レディウスは口元に手をあてて考える仕草をした。
「これは……アヴェルス様があなたとご結婚なさって私は嬉しく思ったのですが。あなたの前でなら、あのかたは演技などしなくていい。どうか、もう少しだけ、あのかたを信じてはくださらないでしょうか? 確かに、本来の性格には問題しかありませんが」
うぬぼれなど持ちたくはなかった。それが虚しく終わるものであるなら余計に。
「あなたはそう言うけれど、アヴェルスはしようがなく私と結婚したのよ、私が居なければ……って、きっと思っているわ」
以前に言われたことでもある。しかしレディウスは首を横に振った。
「それは陛下がそう望まれたからです。ユーヴェリー様では、アヴェルス様は生涯道化のように生きなければならない、かといって他の令嬢でもそれは同じこと。唯一、あなただけがあのかたの本性に勘づいていらしたので、陛下が是非にと」
「……気づかなきゃよかったわ」
思わず本音が口をついて出る。
こんな面倒な男と結ばれることになるなら、いっそ気づかないふりで他の令嬢のようにきゃあきゃあ言っていればよかったのだ。
「そのようなこと。陛下も私も安心いたしましたよ、アヴェルス様は無理を無理と思われないかたなので、あのかたを支えられるのはあなたのようなかただけでしょう」
エルトリーゼがそれに重いため息を吐いている頃、アヴェルスは薄っすらと瞳を開いてその会話を聞いていた。
なるほど、父も周囲もそういうつもりでエルトリーゼを妻に選んだのかと。
だとしたらきっと正解だ、歪な関係はいずれ最悪の終焉を迎える。ユーヴェリーでは、そうなったのかもしれない。
だがエルトリーゼには演技も嘘も必要ない、ただ、問題は……。
――不思議の湖に入っても、あいつは戻って来るだろうか?
◇◇◇
その日はアヴェルスと別室で眠ったのだが、翌日からはそうもいかない。
エルトリーゼは不機嫌そうにソファで眠ろうしていた。夫婦とは言っても互いに望んでそうなったわけではない。それなのにアヴェルスと一緒に眠るなんてごめんだ。
好きでもない男と寝るくらいなら、この広い部屋の隅っこに丸まっているほうがまだマシかもしれない。しかし……。
「おまえってやつはどこまでも俺をイラつかせてくれるな」
軽々と抱きあげられて、エルトリーゼは不満そうにアヴェルスを睨みつけた。
「何よ、どうして私があんたと一緒に寝なくちゃいけないの」
「夫婦だから、それ以上でも以下でもないし他に理由は必要ない。朝にメイドが来て不自然に思われても迷惑なんだよ」
ぽすんとベッドにおろされたエルトリーゼはしようがないと奥のほうに丸まった。
「そ。結局その大層なお立場の問題なわけね」
「……本当に腹が立つな、おまえ」
それだけではないと言いたいのだろうが、それを信じるのはむずかしい。
アヴェルスもベッドに入ると、近くにぬくもりがあって奇妙に落ち着かなかった。
というより、視線を感じる気がする。そう思ってエルトリーゼはしぶしぶアヴェルスを見やった。
「……何よ。何か文句でもあるの? あるなら今すぐ出て行ってやるわ」
「悪かったよ。おまえにキツいことばっかり言ったこと」
ぽつりと降ってきた言葉に、エルトリーゼはむすっと唇を尖らせた。
「同情なら結構よ」
「俺が同情なんかするほど真っ当な人間に見えてんのか、おまえは。だとしたら大根役者なだけでなく人間を見る目もないな」
プツッとエルトリーゼの中で苛立ちの線が切れて、身体ごとそちらへ向けると彼女はすぐ傍で横になっているアヴェルスの頬を軽く抓った。
「悪かったわね! どうせ大根役者よ!」
怒るかと思ったが、意外にもアヴェルスは頬を抓るエルトリーゼの手を軽く掴むと頬から離して、指先にそっと口づけた。
「っ!? な、な、ななな何するのよっ!」
予想外の展開に目をぱちぱちとまたたく彼女に、彼は意地悪く笑った。
「可愛らしいところもあるじゃねえか」
「は、はぁっ!? ばっ、馬鹿にするのも大概になさいよ!!」
からかわれたのだと思ったのだが、アヴェルスはそっとエルトリーゼの頬から耳を撫でて、少し身体を起こして彼女の額にキスをする。
それにまた怒ろうとしたときだった。
「どこにも、行くなよ」
憂いを帯びた彼の顔を見て、エルトリーゼは水色の瞳を不思議そうに見開く。
けれどすぐにどうせ演技なのだと、からかっているのだと思いこもうとする。
きっと自分はとても臆病だ、傷つきたくないのだ。
どうしてそこまで傷つきたくないと思うのか、その理由にはいまだ至れないまま。
「ま。無理だろうけど、おまえは柱に縛りつけといてもそのうちあの場所に行くだろうな」
アヴェルスはふうと小さく息を吐いてエルトリーゼから離れると再び横になった。今度は彼女に背を向けて。
「おまえもさっさと寝ろよ」
彼の表情は分からないが、エルトリーゼは舌打ちを堪えて自分も彼に背を向けた。
「言われてなくてもそーするわよ!」
どうして彼はこんなことをするのだろう。そのことについて深く考えたくない自分は、なぜそれを考えることを拒んでいるのだろう?
迷うべきではない、新月はすぐなのだ。