神獣の花嫁~かの者に捧ぐ~
さほど歳も変わらず、知り合って間もない男に急に顔を寄せられ、不快とまではいかないが動揺は隠せない。

「と、特にないので、お気遣いなく!」

咲耶のうわずった声が放たれた直後、虎次郎が左頬をビクッとゆがませた。驚いたように頬をなでたのち、失笑する。

「……どうやら、『供のモノ』の気に障ったようですね。むやみやたらに姫君に近づくな、と」
「え?」
「バチッ……と、痛みが走りました」

そのひと言で、犬朗(けんろう)が虎次郎に対し、彼の言うように牽制(けんせい)したのだと気づく。
咲耶は気まずさに目をおよがせた。

「ああ、えーと……本当に私は大事にされていますので、大丈夫です」

重ねて言い直す咲耶の胸に、あたたかな想いがこみあげる。本当に、自分は──。

「“眷属(けんぞく)”たちも“花子”の椿(つばき)ちゃんも、よくしてくれてますから。
……それに、何よりハ──和彰(かずあき)も、その……」

優しい、ですし。
という咲耶の声は、蚊の鳴くようなささやきではあったが、虎次郎の耳に届くには充分だったようで、
「優しい……?」
と、目を瞠《みは》られた。

虎次郎の反応に、苦笑いする。

おそらく咲耶が最初に感じたのと同じように、和彰が人に与える印象は、冷淡で優しさのかけらもないように見えるだろう。
けれども、咲耶は和彰と共に過ごすようになって、冷淡な態度の向こうにある、人を思いやることのできる特有の気質に気づいた。
当人ですら、意識していないだろう心根を。

「えっと、誰にでも解りやすい優しさじゃないですけれど……。でも、伝わってくるんです」

たとえば、道に迷った親子からあびせられた非難を、自分のせいだと謝ったり。
たとえば、自分が願ったせいで元の世界という『故郷』に戻れなくなったのを、憂いたり。

ひとつひとつ(ひも)とけば、どれも咲耶の心のうちにある『想い』を、気遣ってのことだと解る。

「だから、私──いまは和彰の“花嫁”として、この世界に()ばれて良かったって、思ってます」
「……そう、ですか」

虎次郎のつぶやくような相づちに、咲耶は我に返った。

「わわっ、私ってばナニ語っちゃってるんだろ!? 恥ずかしい~っ。
──えっと、あの、じゃなくてですね……!」
< 119 / 451 >

この作品をシェア

pagetop