神獣の花嫁~かの者に捧ぐ~
(……虫さされ……?)

ひざがしらの辺りから、ぽつんぽつんと、ふたつずつの赤い点が三ヶ所、大腿(だいたい)の内側まで続いている。
痛がゆさの正体はこれだろうと、咲耶は判断した。

(屋敷に戻ったら椿ちゃんに薬もらおう……)

チクチクとした痛みから、少しずつ増す鋭い痛みを気にかけながらも、これ以上、尊臣を待たせてはまずいだろうという思いから、急いで着替えを済ませた。





“神現しの宴”が行われた舞殿を横目にコの字型の回廊を抜け、さらに長く続く廊下の奥へ奥へと咲耶は歩かされた。
咲耶を案内する中年女性が、奥まった部屋の前で立ち止まり、ひざまずく。

「咲耶様をお連れいたしました」

応えるように扇を打ち鳴らす小さな音が、静かな空間に響いた。
咲耶をなかへとうながすと、女性は役目を終えたといわんばかりに立ち去ってしまった。

前を見れば、幾つか両脇に並んだ几帳(きちょう)の奥に、一段高くなった場所があり、御簾(みす)がかかっている。
そちらへ踏みだして良いものかを迷っていると、御簾向こうから声がかけられた。

(しろ)の姫、どうぞ、お近くに」
(──えっ……?)

咲耶は、耳を疑った。想像していたより、若い声質だったからではない。

虎次郎が尊臣の乳兄弟だと聞かされた時から、咲耶が最初に考えていた年齢よりも若いであろうことは、想像がついていた。
そうではなく──そもそもの根源から覆される事実、だったからだ。

「どうなさいました? 何か、ご不審でも?
──……ああ、失礼いたしました。御簾ごしでは、いけませんね」

無造作に御簾を上げ、咲耶に近づく人物──どことなく虎次郎を思わせる風貌(ふうぼう)は、しかし、明らかに彼とは違うと分かる。
やわらかな声色と、なよやかな身のこなし──。

「あの……尊臣さん、ですか?」

虎次郎が「主の命で」と言い、そして、“国司”の遣いを名乗った。
必然それは、この“下総ノ国”の“国司”である、萩原(はぎはら)尊臣の遣いだと咲耶は思っていた。それは、自分の勘違いだったのだろうか?

咲耶の目の前に立つ、直衣(のうし)姿の人物は、咲耶と同じくらいの背格好の──女性、に、見えたからだ。
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