神獣の花嫁~かの者に捧ぐ~
(綺麗な三本線が入ってる)

普通、猫の引っかき傷などは、ミミズばれになるのだろうが、ハクコにつけられた咲耶の右手の甲には『白い痕』が残っていた。
湯船に浸かったときも、特に痛みはなかった。傷痕とは、違うのだろうか?

それにしても──。

(夢じゃないのは分かったけど)

椿にこの屋敷まで案内される道すがら、自分が【この世界とは別の】異なる世界から“召喚(しょうかん)”された“神獣(しんじゅう)”の“花嫁”だとの説明を受けた。

(なんか、流されまくってるな、私)

家屋の造り、人々の着衣などを見ていると、何かの間違いで時代劇の舞台装置のなかへと追いやられた、新人俳優のような気分がしてくる。
与えられた役柄を言われるままにこなしていれば、何も恐ろしいことは起こらない──。
漠然とだが、咲耶はそう感じていた。

(お母さん、心配してるかな……)

結局、家からの電話には出ていない。
突然いなくなった娘を母親はどう思うのか。
拉致を疑うか、失踪を疑うか。どちらにせよ、心配させるのは事実だろう。

(でも、帰ったところで私には何もないんだよな……)

母親のことを想うと胸が痛いが、それ以上に自分が何者でもないことに咲耶は深い溜息をつく。

(とにかく、今日のところは寝て、明日また考えよう)

半ば自棄になって咲耶は掛け布団を上げ、本格的に寝に入ろうとした。

が。

「失礼する」

言って、気配も足音もさせなかった袿姿のハクコが室内に入ってきた。ぎょっとして咲耶は、身を起こす。

「えっ!? な、なんでいるの!?」

驚いて思わず言ってみたものの、考えてみれば咲耶も感じた通り、この屋敷は咲耶一人で住むには広すぎる。
『咲耶の屋敷』というよりは、『ハクコの屋敷』だというのが、正しいのかもしれない。

(椿ちゃん……もっとちゃんと説明して欲しかったよ……)

「あの……私に、何か?」

寝ようと思っていたところに突然の来訪者が現れ、咲耶はおざなりに訊いてみた。
ところがハクコは、咲耶の予想もしなかったことを言いだした。

「外でもない。お前と夜を共にする」
「はい?」
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