神獣の花嫁~かの者に捧ぐ~
「もちろんでございますとも。
……ああ、姫。屋敷までお送りできず、申し訳ございません。火急のことなれば、これにて失礼いたします」

しなやかな手でもって、うやうやしく咲耶の片手に触れたのち、沙雪が栗毛馬に近づく。虎次郎が言った。

「『疾風(はやて)』は置いていけ。俺が乗る」
「……まさか、姫を『六花(りっか)』に?」
「こいつが俺と一緒に騎乗すると思うか?」

問いには応えず鼻で笑う虎次郎に、沙雪は一瞬だけ申し訳なさそうな顔を咲耶に向けたあと、うなずいた。

「では、わたくしは権ノ介殿に馬を借ります。──姫。本日は誠に、良き働きをなされました」

ふたたび咲耶に目を向けねぎらうと、一礼をして沙雪が立ち去った。虎次郎が栗毛の『疾風』に、ひらりと騎乗する。

「『六花』は『疾風』と違い、鈍感だ。“眷属”がお前のなか(・・)にいても、問題なく走るだろう。
──おい、赤イヌ。聞いての通りだ。早く咲耶の“影”に入り、馬に乗れ」

咲耶への気遣いも状況説明も、いっさいがっさい省き、虎次郎は馬上から咲耶を見下ろして地中の犬朗に言い放つ。

当然のごとく咲耶の気分は最悪で、そして犬朗もいないもの(・・・・・)のように反応しなかった。

「──俺は、時は無駄にしない(たち)だ。
咲耶、お前は俺に言ったな? この“下総ノ国”の者たちのためにも、と」

初めて虎次郎と出会った日に、己の気構えを話した咲耶の言葉をもちだされた。
真意が解らず見上げる咲耶に、手綱を引きながら虎次郎が続ける。

「これからお前が行くのは白虎(はくこ)の屋敷ではない。“つぼみ”の所だ。日暮れまでに屋敷に戻れなくなっても、俺は知らんぞ?」

からかうように虎次郎が笑みを浮かべる。

咲耶は、自分がこの男に付き合わなければならないことを思い知った。
そして、同じ気分を抱えているだろう“眷属”に、しぶしぶ“主命”を下す。

「……犬朗。“影”に入ってくれる? 私の代わりに(・・・・・・)馬を走らせてちょうだい」





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