神獣の花嫁~かの者に捧ぐ~
「……雨!」

ぽつん、と、ひとしずく。
熱くなった頬に感じた直後、雨脚が強まり、やがてそれは大地を叩きつけるように降り出した。

あっという間に消え失せる炎の向こう。雨に打たれて濃い赤毛となった、隻眼の虎毛犬が見えた。

「犬朗っ……!」

駆け寄る咲耶の前で、呼びかけられた“眷属”は、左前足を掲げ横に払うようなしぐさをしてみせる。
とたん、嘘のように雨は止み、草木を濡らす匂いだけが残った。

「──旦那、呼べって……言った、ろ……?」

かすれた声が弱々しく届き、初めて咲耶は犬朗の異変に気づく。身にまとった、そでのない(あわせ)の腹部を染める、赤黒い染み。

「ケガしてるのっ!?」

片足をひきずって歩く姿に驚いた咲耶は、悲鳴のような声をあげる。
がくん、と。傾げた身体が地についたのを見て、犬朗に向かい腕を伸ばした。後ろから、虎次郎の声がかかる。

「結局、心配になってついてきたわけか。……代償は、臓物と(けん)か?」
「……俺みたいな……『まっとうな化け(モン)を排除して……。あんな、狂気の化け(モン)を受け入れる、って……。なんなんだ、この“結界”……。作った人間の……本性を疑う、ぜ」

虎次郎が、くくっと笑う。

「『適度にかかる災厄は残せ』と俺が命じたからな。何もかもから救われた世など、不健全だろう?」

咲耶は軽口をたたき合う二人を無視して、血濡れた袷に右手を置こうとした。犬朗の、いつにも増してかすれた声音が、止める。

「ダメだ……咲耶サマ」
「なんで? 治させてよ。私のために、無理したんでしょう?」

涙声になった咲耶に、犬朗の隻眼が見開かれたが、じきに首が横に振られた。

「前にも……俺は言ったよ、な? あんたの、“神力”は……“下総ノ国”の、民のモンだ、……って」

きつい口調で言い切って、犬朗がひとつの眼で咲耶を見据える。
“主”と“眷属”のやりとりを見ていた“下総ノ国”の長が口をはさむ。

「立派な心意気だな。だが、肉体を無くせば、この先“主”は護れなくなるぞ。……お前が護るべきは、この国の『民の恵み』ではないはずだ」
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