神獣の花嫁~かの者に捧ぐ~
《八》畏怖──お前に触れても良いか?
自分のもとへと呼び寄せるため、初めて告げる真名。咲耶は、少しの緊張を抱えながら白い“神獣”の名を口にした。
──音もなく、さりとて特別な兆しもなく。冷たい美貌の青年に“化身”した『白い神の獣』が、咲耶たちの前に現れた。
すらりとした長身にまとう、着丈の短い白い水干と、黒い細身の筒袴。
腰近くまで伸びた色素の薄い髪の先々にさえ、神々しさを感じさせる佇まい。
咲耶を抜かし場にいた者たちがひれ伏したのを、超然と見届けている。
「ハクの旦那……」
しぼりだすような声音に反応して、青みがかった黒い双眸が隻眼の虎毛犬に向けられた。
まばたきだけで場にいる者を圧倒し、畏れを抱かせる存在であると、咲耶は初めて実感する。
──自分が『彼』に出逢った時、最初に抱いた感情が『畏怖』であったことを、知る。
「咲耶サマを、頼みます……」
自らの“眷属”に近づき、和彰の片手が伸びる。こうべを垂れた赤虎毛の犬の額を、長い指の先が突いた。
「──休め」
言葉と共に消え失せた手負いの甲斐犬を思い、咲耶はようやく我にかえった。
「和彰! 犬朗はケガしてたのよ? どうしたの!?」
「……あの者をいま側に置いても役には立たぬ。時がくればおのずから姿を現すだろう」
抑揚のない返答に理解が追いつかない咲耶の前で、和彰は平伏した虎次郎を見下ろした。
「形ばかりの礼などいらぬ。顔を上げろ。なぜ私の“花嫁”を“眷属”の護りもままならないこのような山中に連れてきた」
「──おそれながら」
すっと上体を起こし、しかし頭は下げたまま、虎次郎は言った。
「この度の御役目は、咲耶様ご本人の了承を得て、お連れした次第にございます。咲耶様の、民への深いご慈悲があればこそかと」
どこかで聞いたような台詞を、いけしゃあしゃあと言ってのけた男に、咲耶の頬が引きつった。
──音もなく、さりとて特別な兆しもなく。冷たい美貌の青年に“化身”した『白い神の獣』が、咲耶たちの前に現れた。
すらりとした長身にまとう、着丈の短い白い水干と、黒い細身の筒袴。
腰近くまで伸びた色素の薄い髪の先々にさえ、神々しさを感じさせる佇まい。
咲耶を抜かし場にいた者たちがひれ伏したのを、超然と見届けている。
「ハクの旦那……」
しぼりだすような声音に反応して、青みがかった黒い双眸が隻眼の虎毛犬に向けられた。
まばたきだけで場にいる者を圧倒し、畏れを抱かせる存在であると、咲耶は初めて実感する。
──自分が『彼』に出逢った時、最初に抱いた感情が『畏怖』であったことを、知る。
「咲耶サマを、頼みます……」
自らの“眷属”に近づき、和彰の片手が伸びる。こうべを垂れた赤虎毛の犬の額を、長い指の先が突いた。
「──休め」
言葉と共に消え失せた手負いの甲斐犬を思い、咲耶はようやく我にかえった。
「和彰! 犬朗はケガしてたのよ? どうしたの!?」
「……あの者をいま側に置いても役には立たぬ。時がくればおのずから姿を現すだろう」
抑揚のない返答に理解が追いつかない咲耶の前で、和彰は平伏した虎次郎を見下ろした。
「形ばかりの礼などいらぬ。顔を上げろ。なぜ私の“花嫁”を“眷属”の護りもままならないこのような山中に連れてきた」
「──おそれながら」
すっと上体を起こし、しかし頭は下げたまま、虎次郎は言った。
「この度の御役目は、咲耶様ご本人の了承を得て、お連れした次第にございます。咲耶様の、民への深いご慈悲があればこそかと」
どこかで聞いたような台詞を、いけしゃあしゃあと言ってのけた男に、咲耶の頬が引きつった。