神獣の花嫁~かの者に捧ぐ~
(何が、『慈悲』よ!)

罪悪だなんだと(けな)しておいて、どの口が言うのか。怒りと呆れのあまり、咲耶のほうが言葉を失った。

「咲耶の意思だと言うのだな?」
「左様にございます」
「分かった。では、お前は去れ」
「……は?」

そこで初めて虎次郎は顔を上げ、和彰を見た。
理解しがたい生き物を見るような不可解な表情が、一瞬だけ、忠実な仮面の下からのぞいた。

「聞こえなかったのか。立ち去れと、命じたのだ」

冷ややかな眼差しと、いつもより、いっそう低い声音。そして、すでに終わったことのように、和彰は虎次郎を振り返らない。

「咲耶。寒くはないのか」
「えっ。……あ、そういえば」

言われて、咲耶は身震いをする。

次々と起こった出来事に気が動転し、また、自分が呼んだとはいえ突然現れた和彰に対し、反応に困っていた。だから咲耶は、自分の身体の状態など、二の次だったのだ。

近づいた和彰の手が、咲耶の髪から頬、肩先へと、すべるようになでる。
常には冷たいはずの手は不思議と温かく、触れられた部分から咲耶の濡れた髪は乾き、衣からは水分がなくなり軽くなっていた。

「……和彰?」

肩に置かれたままの手に、咲耶は和彰を見上げる。ややしばらく無表情の和彰に見つめられ、何も言われないことにしびれをきらした咲耶は、虎次郎に声をかけた。

「“つぼみ”の庵っていうのは、この先にあるの?」
「左様にございます。……ご案内いたします」
「必要ない」

立ち上がり、歩きだしかけた虎次郎の背中に、和彰の取りつく島もない声がかかる。
わずかに揺れる直垂(ひたたれ)の背は、不快さを表していた。

ゆったりとした動作で、虎次郎がこちらに向き直った。切れ長の目の奥から、鋭い光が放たれる。

「……では、私の付き添いは、いらぬということでしょうか」
「お前がいたところで役に立つわけではあるまい」

応じる和彰は、にべもない。

(何これ……なんでこんなに険悪ムードが漂っちゃってんの?)
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