神獣の花嫁~かの者に捧ぐ~
自分が彼を『和彰』という固有の存在であると認められる、唯一の者なのだ。
漠然とした『神』などというものではなく。
『和彰』という名をもつ『(こころ)』を宿した存在として、接することのできる『(つい)になる者』。
彼の名を呼べる(・・・)とは、つまりは、そういうことだ。

「ごめん……和彰」

咲耶ののどの奥からでたのは、そのひとことだけだった。とまどったように、和彰が口を開く。

「……お前にとって私は、必要ではないということか?」
「違うよ、そうじゃない」

繰り返された確認に、今度は即座に否定した。和彰を見上げ、告げる。

「必要だよ」

にぎりしめた手のひらは、自分のためものではない。
“神獣”という(まれ)な存在でありながら、咲耶というちっぽけな存在を必要としてくれる、純真無垢な者に、差し伸べるためのもの。
ようやく欲しい答えを得たように、和彰はやわらかな微笑を浮かべる。

「──……お前に触れても良いか?」

咲耶は言葉ではなく、その身でもって答えを返す。寄せる身が和彰の両腕につつまれて、ぬくもりが咲耶を春色に満たしていく。

「咲耶……」

ささやかれる声音の甘さと、咲耶の衣の上を伝う和彰の手指の行方。
吐息と共に奪われた唇に応えかけて、拍子に、背中にあたった固い樹木の存在で我にかえった。

(──はっ。ここ、外だった!)

それよりも何よりも、自分は確か、“つぼみ”の庵へ向かうはずだったのではないか──咲耶の“神力”を必要とする、“下総ノ国”の民のもとへ。

「か、和彰……? あの、ちょ、ちょっと待って……。ここで、これ以上は、ダメ……」
「──……駄目なのか?」

至近距離で咲耶を見つめる端正な顔立ちに、残念そうな表情が浮かぶ。
本性は虎のはずなのに、その瞳が表す色は、捨てられた仔犬を思わせる。

「だ、ダメじゃないけど……いや、ダメなの! ここ外だし、誰かに見られたら──」
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