神獣の花嫁~かの者に捧ぐ~
咲耶に向かい声をあげた たぬ吉の身体が、一瞬のちに“変化(へんげ)”する。牛の頭をもつ、絵本で見たような鬼の姿へと。

牛の頭をした巨大な鬼が、手にした金棒をぶるんとひと振りし、黒衣の男めがけて叩きつける!
地響きと共に砂煙が舞い上がったが、衝撃よりも早く、男の身は飛ぶように後ずさっていた。
見届けた咲耶の身体が、ふたたび地に降り立つ。

「タンタン、無茶しないでね!」

気弱なタヌキ耳の少年が化けた牛鬼の背中に叫び、しなやかで小さな獣を身内に宿した咲耶は、走りだした。





転々の自由に任せた咲耶の肢体は、ぐんぐんと風をきり、森のなかを駆けていた。

木の幹や枝を恐ろしい速度で寸前にかわすが、避けきれない身体のあちこちに切り傷が増えていく。

(早いけど……身体が保たないかも……!)

以前、犬貴や犬朗に預けた時とは、勝手が違うのが分かった。
あえて言葉にするなら、転々が咲耶の身体を巧く操れていない感じだ。

いつも咲耶を専属で護衛していた犬朗は、いまは“霞のなか”にいた。そこは人の目に触れず、外敵にも襲われない場所らしい。

和彰の説明によれば、自ら傷つけた“仮宿(かりやど)”と呼ばれる肉体の回復に専念するためだという。
そこで養生中の犬朗には、常には伝わるはずの咲耶の危機も声も、届かない──。

(犬朗は来られない。それなら)

古株の“眷属”と、いつでも呼べと言ってくれた白い“神獣”を頼るべきだ。咲耶がそう結論づけた刹那(せつな)

キィーー……ンという耳鳴りが、咲耶を襲った。脳髄に直接響くような、御しがたい寒気のする『音』。

それまで、人身とは思えない速度で駆けていた咲耶の身が、糸の切れた操り人形のように山道を転がった。
巨木にぶつかって、止まる。

したたか打ちつけた背中に息が止まりそうになった咲耶の耳に、獣の苦しそうな息遣いが届いた。
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