神獣の花嫁~かの者に捧ぐ~
落ち着き払った声音がぴしゃりと制す。
驚いたように男は宙を見据え、咲耶は歓喜の声をあげた。

「犬貴!」

薄い煙のようなものがふたつ、咲耶とギョロ目の男の間に現れる。
次第に犬の顔形を成していく様に、くつくつと、男はさも(たの)しげにのどを鳴らした。

「……『犬貴』、か。立派な名をもらったものだ。尾っぽを振る相手を変え、現世(うつしよ)に留まっていたとはな」
「貴様ッ……!」
「おっと、犬貴。積もる話はあとにしろや。──咲耶サマ。待たせたな」

かすれた声と共に赤虎毛の犬のたくましい腕が、咲耶の身体をひょいと抱き起こす。
次いで、護ることを前提にした構えをとる犬朗に、咲耶は思わずしがみついた。

「犬朗! もう身体は大丈夫なの? 無理してない?」
「おう、心配かけてすまなかったな。
実は、ちっとばかし足の具合がよくなかったんだけどな。いまの、咲耶サマのギュウッてので、治っちまったぜ?
……相変わらず、良い匂いすんなぁ、咲耶サマは」
「えっ?」

クンクンと咲耶の首筋に鼻を寄せる犬朗の頭が、白い水干を着た犬の前足に、勢いよく叩かれる。

「どさくさに紛れて、破廉恥な真似をするな!」

犬貴の一喝を犬朗の隻眼が満足そうに受け入れ、そのあごの先が、咲耶を囚われの身とした男に向けられる。

「つーか……それに引き換え、あいつの(くせ)ぇことったらねぇな。
ま、魂に染みついた、ぬぐいきれねぇ悪臭だろうが、なっ」

バリバリッという空間を震わす音と(ひらめ)く雷光。両手を前にかざした男の黒衣が一瞬にして燃え、片袖が焦げ落ちる。

「咲耶サマは、返してもらうぜ? ハシタ金に目が(くら)んだ、なまぐさ坊主さんよぉ」

左前足の指先を突き付け、啖呵(たんか)をきる犬朗に対し、男は平然と腕を組みニヤリと笑ってみせた。

「……人間(ひと)が動くは欲のみと思うは、犬畜生の浅い料簡(りょうけん)
「では、なぜ貴様がここにいる(・・・・・・・・・・)のだ!? 道幻(どうげん)!」

鋭い牙が見えるほど興奮した犬貴の問いに、道幻と呼ばれた黒衣の男は、ふむと相づちをうつ。
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