神獣の花嫁~かの者に捧ぐ~
勢いよく開いた障子の向こうから、茶褐色の丸い物体が飛んできた。
すかさず百合子の片腕が上がり、咲耶に着地する寸前で受け止められる。

(しつけ)がなってない」

冷ややかな眼差しで“主”に苦言が呈された。
対して、ふにゃあう、と、不機嫌そうな鳴き声を漏らしたのは、転転だった。

「さ、咲耶様っ……。も、もう、お目覚めにならないかと……うっ、うぅ……」

障子の枠づたいに、くずれ落ちるタヌキ耳の少年。こぼれ落ちた涙を片手でぬぐう たぬ吉の頭に、赤虎毛の犬の前足が置かれた。

「言っただろ? みんなでちゃんとイイ子にしてれば、目を覚ますって。
──よぉ、とんだ寝ぼすけだな、咲耶サマ。脳ミソ腐ってんじゃねぇか?」

泣きじゃくる半妖の少年を慰めた虎毛犬の隻眼が、咲耶を見て優しく細められた。かすれた声音の軽口と共に。

咲耶は百合子の手を借りて、上半身を起こす。転々が頭と前足を器用に使い、咲耶のために脇息(きょうそく)を用意してくれた。
こすりつけられたキジトラ模様の頬をなで、咲耶は犬朗を見返し笑ってみせる。

「可愛い猫と心優しいタヌキ耳の少年。それから、ふてぶてしい赤い犬が私の大切な“眷属”だってこと。ちゃんと、覚えてるわよ」

言って、この場に顔を見せない最後の“眷属”を想う。

「……融通が利かない、黒い犬はどこ?」

苦笑いの咲耶に、ふてぶてしいと言われた赤虎毛の甲斐犬が、背後を振り返る。

「ほら、顔見せろって、言われてんぞ?」

なんとなくではあるが、咲耶には黒虎毛の甲斐犬が姿を見せない理由が解っていた。
──誠実で生真面目な“眷属”が、いま何を考え、何を思っているのかを。

そのすべてを把握しているつもりはない。
しかし、咲耶の我がままではあるが、彼の顔を見て言いたいことと訊きたいことがあった。

「犬貴」

呼びかければ、落ち着いた声音が「はい」と短く応じる。ただし、姿は見せないままだ。

咲耶は語調を強めて言った。

「犬貴、私の側に来て」

忠実な黒い虎毛犬が逆らえるはずもなく、咲耶の視界のなかに、ようやく姿を現す。
敷居を(また)がずに、片ひざをつき、こうべを垂れた。
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