神獣の花嫁~かの者に捧ぐ~
「ですが、これが最良の法。ハク様を取り戻すために、多少の犠牲はやむを得ません」

きっぱりと言い切った律儀な甲斐犬に、鷹揚(おうよう)な甲斐犬が死んだ魚のような目をして、明後日の方を向く。

「多少の犠牲って……簡単に言ってくれるよな、犬貴サマはよぉ……ったく」
「待って、ふたりとも。犬朗にだけそんなに負担がかかるなら、私……──」

言いかけた咲耶の額が、赤虎毛の犬の前足に、ちょんと突つかれる。

「おい。そこであっさり引き下がんなよ、咲耶サマ。あんたの旦那への想いっつーのは、そんなモンなのか?」

冗談めかした言い方ながらも、犬朗の言葉は容赦ない。咲耶は、揶揄(やゆ)にこめられた指摘に恥じ入った。

(私が彼らの協力を望んだのに……!)

そのために力を尽くしてくれる“眷属”に対し、咲耶がかける言葉は他にあるはずだ。
大きく息をつき、咲耶は赤虎毛の犬に向き直る。

「ごめん、犬朗。──お願い、私に力を貸して」

じっと隻眼を見つめれば、得意げに咲耶を見返す瞳と視線が交わる。

「……そうこなくっちゃな。
ってなワケで、咲耶サマ? 無事に屋敷ん中に入れたら、旦那の代わりに、俺に生命力を分け与えてくれよ?」
「えっ。私が? でも、私にできるの?」
「おう、できるできる! んじゃ、とっとと始めっか」

軽い調子で咲耶に合わせた隻眼の虎毛犬の表情が、次の瞬間、強面(こわもて)の本来の顔つきに戻る。
咲耶様、と、犬貴が犬朗の側から離れるようにとうながしてきた。

左前足を天に掲げ、犬朗が叫ぶ。

「天と地を震わす衝撃よ、光の矢となり降りて来い!
──鳴神(なるかみ)招来(しょうらい)!」

曇天に覆われた空が、犬朗の声に呼応するように、瞬く間に墨色へと変わっていく。
器用に広げられたそこへ、すさまじい轟音と共に、閃く雷撃。

両耳をふさぎ片目をつぶる咲耶の傍らで、身を縮め、おびえる転転をたぬ吉がかばう。

バチバチと音を立て、赤虎毛の犬の全身が、蒼白い光に彩られていた。
その光が、犬朗の身の内に吸い込まれるようにして、消えていく。
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