神獣の花嫁~かの者に捧ぐ~
(ええと、この川沿いを歩いて行くと──)

事前に たぬ吉から受けた説明と地図を照らし合わせながら、竹筒に()み上げた水を飲む。
疲労は多少あるが、のどを潤せばもう少し歩くことはできるだろう。そう思って咲耶が腰を上げた、その時。

「おい、女。そこに金目の物を置いて、立ち去れ」

草むらを滑り落ちるような音がした直後、野太い声が背後からした。

驚いて振り返った咲耶の前に、毛むくじゃらの見るからにむさ苦しい身なりの大柄の男が現れた。手には鎖のついた鎌を持っている。

(お、追い()ぎ……?)

今までの人生で経験したことのない状況に、咲耶はたじろいだ。
声もだせずにいると、じりじりと近づく男からはひどい体臭がして思わず鼻に手をやってしまう。

「……か、金目の物なんて、ないわよ……」

それでもなんとか言い返す咲耶に、無精ひげに囲まれた口がいやらしい笑みを浮かべた。
濁った色の目が咲耶を下から上へとなめ回すように見てくる。

「ふん……、顔は(ひな)びているが肉付きは良さそうじゃないか。どれ、ひと仕事の前に、少し可愛いがってやるか……」

(あか)まみれのごつい手が伸びてきて、生臭い息遣いを間近で感じ、ついに咲耶は観念した。

(ああっ、もうっ! こんなに早く呼ぶつもりなかったのに!)

「け、犬朗(けんろう)っ……!」

悲鳴のような咲耶の声に、大男がいぶかしんだのとほぼ同時。
咲耶の胸もとから黒くて濃い煙の筋のようなものが、勢いよく立ちのぼった。

瞬時に形成される、直立する赤虎毛の犬。そでのない(あわせ)を着た、強面の甲斐犬の出現に、男の大きな体がひっくり返った。

「──ひっ!? バ、バケモノ!?」
「……バケモノ、だと?」

面白くなさそうに鼻を鳴らし、犬朗の片方の前足がぐいと大男のえり首をつかみ上げる。

「おい、オッサン。そーゆう台詞は、むっさい口ひげと鼻が曲がりそうな体臭、どうにかしてから言ってくれよな?」

軽々と持ち上げた男の体を、咲耶から遠ざけるように犬朗は放り投げる。

「……き、消え失せろっ、バケモノ共め……!」

しりもちをついた男が、やみくもに鎖鎌を振り回した。犬朗の眼帯に覆われていないほうの目が、感慨もなく男を見下ろす。

「うちの姫サマに悪さ働こうとしたコト、後悔させてやるよ」

犬朗の左前足の先で、火花が散った──。



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