神獣の花嫁~かの者に捧ぐ~
犬朗の言葉と共に冷たい風がひゅうう……と通り抜け、少し汗ばんでいる額に落ちた前髪が、揺らされた。その心地よさに、咲耶は思わず目を閉じる。
鳥のさえずりが、のどかに辺りに響いていた。
「……ほんとだ……」
しっかりと自分を抱える犬朗に安心して、咲耶は深呼吸をする。
そっとまぶたを上げれば、目に優しい緑の葉が、遠くに近くに春の陽差しを浴びる様が視界を埋めた。
しばしの沈黙ののち、そよ風に紛れるような声で、犬朗が言った。
「……あんたが危ない思いをしたり傷ついてまで、自分が元に戻るなんてこと、旦那は望んじゃいないさ」
驚いて仰ぎ見れば、細められた隻眼が咲耶を見下ろす。
「もちろん、俺たちもな」
いつになく真剣な声と眼差しに、咲耶は二の句が継げない。まばたきを繰り返す咲耶から視線をそらし、犬朗が続けて言った。
「“神獣”の『対になる者』には替わりがきく。俺は、自分の国でその現状を嫌ってほど見てきた。
……けどよ、旦那はあんたがいいって言って、譲らなかったよな?
正直、うらやましいっつーか、まぶしかったな、あん時のハク様は」
犬朗の隻眼が遠くのほうを見て細められる。
「自分がそれだけ傾けられる相手なんて、そうそう見つけられねぇからな。それを簡単に見つけて……まっすぐな想いを向けてさ。
純真無垢な“神獣”サマなんだって思ったら、護ってやりたくなったよ。──あのお方が護ろうとしているものを含めて、な」
おもむろに落とされる視線に、咲耶は息をのむ。かすれた声音が静かに告げた。
「……俺の言いたいこと、解るだろ?」
それが何を、誰を指しているのかを。
咲耶は唇をきゅっと引き結ぶ。
「無茶はするな」と言ったいつかの和彰の言葉が、いまになって咲耶の胸に重たくのしかかった。
あの時、淡々とした口調の裏で和彰はどれだけの想いをこめていてくれたのだろうか──。
「…………うん」
ようやくしぼりだした返事に、赤虎毛の犬の前足が、幼子を褒めるように咲耶の頭を乱暴になでた。
鳥のさえずりが、のどかに辺りに響いていた。
「……ほんとだ……」
しっかりと自分を抱える犬朗に安心して、咲耶は深呼吸をする。
そっとまぶたを上げれば、目に優しい緑の葉が、遠くに近くに春の陽差しを浴びる様が視界を埋めた。
しばしの沈黙ののち、そよ風に紛れるような声で、犬朗が言った。
「……あんたが危ない思いをしたり傷ついてまで、自分が元に戻るなんてこと、旦那は望んじゃいないさ」
驚いて仰ぎ見れば、細められた隻眼が咲耶を見下ろす。
「もちろん、俺たちもな」
いつになく真剣な声と眼差しに、咲耶は二の句が継げない。まばたきを繰り返す咲耶から視線をそらし、犬朗が続けて言った。
「“神獣”の『対になる者』には替わりがきく。俺は、自分の国でその現状を嫌ってほど見てきた。
……けどよ、旦那はあんたがいいって言って、譲らなかったよな?
正直、うらやましいっつーか、まぶしかったな、あん時のハク様は」
犬朗の隻眼が遠くのほうを見て細められる。
「自分がそれだけ傾けられる相手なんて、そうそう見つけられねぇからな。それを簡単に見つけて……まっすぐな想いを向けてさ。
純真無垢な“神獣”サマなんだって思ったら、護ってやりたくなったよ。──あのお方が護ろうとしているものを含めて、な」
おもむろに落とされる視線に、咲耶は息をのむ。かすれた声音が静かに告げた。
「……俺の言いたいこと、解るだろ?」
それが何を、誰を指しているのかを。
咲耶は唇をきゅっと引き結ぶ。
「無茶はするな」と言ったいつかの和彰の言葉が、いまになって咲耶の胸に重たくのしかかった。
あの時、淡々とした口調の裏で和彰はどれだけの想いをこめていてくれたのだろうか──。
「…………うん」
ようやくしぼりだした返事に、赤虎毛の犬の前足が、幼子を褒めるように咲耶の頭を乱暴になでた。