神獣の花嫁~かの者に捧ぐ~
*
「──では訊こう。そなたは、人間か、獣か」
目の前にいる男以外、生き物の気配のしない世界。
最初に連れて来られた場所と同じに見えるが、違うと感じるのは、そのせいだろう。
白い前足は、毛のない『肌』に変わっている。前足を鼻に近づける感覚で動かせば、視界に入るは『人の手』だ。
「……今は、ヒトの形をしている」
自らが放つ音は、空間を伝わる『人の声』。獣の咆哮ではない。
庭に目を向ければ、満月の光が藤棚を照らす。風はなく、雲も出ていない。
「人の形を成せば、人たりえると申すか」
パチリ、と、男が手の内で扇を鳴らした。細い目をさらに細め薄く笑う。
「否。ヒトが人間である証は、人としての心をもつことだ」
「こころ……」
それは感情。
それは、身内からわき起こり、手足を操ろうとするもの。
外部から受ける刺激に、身のうちでざわめくはずのもの。
男が為した説明。だが──。
「私の内には、何もない。見つからない」
感じるのは、規則正しい自らの鼓動。
男の放つ香に混じる体臭と覚えのある匂い。
身体を折り曲げて、床に丸まっていたい欲求。
男の笑みが、さらに深まる。
「いずれ時が満ちれば、そなたにも解るはず。人が人たりえるのは、人を乞うことに他ならないのだということが」
乞うとは、恋うことなのだと、男は続けた──。
*
「かずあき……」
咲耶は、自らの寝言で目を覚ました。暗闇だが、辺りの様子はなんとなくは分かる。ここは森のなか、月のない夜──。
あたたかな感触は、犬の毛並みだ。それが、いまの咲耶の身を包みこんでいる。
たぬ吉は他の野生動物に襲われないよう火を焚いていたが、
「は? 獣に襲われるぅ? ナイナイ、あり得ねぇよ、んなコト。俺の気配を察して、あいつらのほうが逃げるっつーの。
連中はそういうトコ、賢いからな。バカ正直に俺らにケンカ売ろうとするのは、人間くらいだろ」
などという犬朗の言葉に、たぬ吉との歴然とした力量差が表れていた。