神獣の花嫁~かの者に捧ぐ~
(ああ、息がもう……)

“神籍”にある自分の身体の限界は、はたしてどこにあるのだろうかと。
咲耶は、薄れ行く意識の片隅で、そんなことを考えていた──。





「咲耶様、咲耶様!」

必死に自分を呼ぶ声に目覚めると白い水干を着た黒虎毛の犬が、心配そうにこちらをのぞきこんでいた。

(……あれ、犬貴だったんだ……)

光の反射と白い水干により、居るはずのない“神獣”の“化身”だと思い違いをしてしまったのだろう。

「ありがとう、犬貴。助けてくれて」

身勝手な行いをした“主”を誠実に律儀に護ってくれた“眷属”に感謝する。
同時に、違う存在が自らの窮地を救ってくれるのを一瞬でも期待してしまったことに対し、申し訳ない気分になってしまう。

しかし犬貴は予想外の言葉を口にした。

「いいえ、咲耶様。私に礼は必要ございません。貴女様をお救いになられたのは」

言いながら、そっと咲耶の身体を支え起こし、黒い甲斐犬は後方に目を向ける。

「彼の御方なのですから……」

なにげなく見やった視線の先。そこにいたのは、整いすぎて冷たく見える美貌の青年だった。

「かっ……──」
「少し早いですが、私は自らの意思で札に戻ります。必要とあらば、お呼びくださいませ」

声にならない咲耶に、淡々としながらも優しい声音を残し、墨色の軌跡を描いて犬貴が消え去る。

いつぞやの春の気候を思わせる、辺りの風景。咲耶は、高ぶる感情のまま、目の前に現れた愛しき者へと飛びつく。

「かずあっ……──っ!」

ばたんという不様な音を立て、道端で()かれたカエルのように咲耶はうつ伏せに倒れこんだ。

(…………何、コレ)

いまのいままでが例え夢であったとしても、これで完全に覚醒(かくせい)したのではないかというほどの衝撃だった。
肉体的にも、精神的にも。

「……お前が私に触れることは(かな)わない」

突き放すような抑揚のない物言いは、咲耶の心に冷たく突き刺さった。
けれども次の瞬間、やわらかな陽差しのようなぬくもりが、咲耶の身を抱き起こす。

「だが、私がお前に触れることは造作ない」
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