神獣の花嫁~かの者に捧ぐ~
もうこの場に用はないだろうといわんばかりの猪子の言葉に、気を取り直して従いかけた咲耶の二の腕を、和彰がつかんだ。

「咲耶」

反動で、和彰の身体にぶつかるような形で、その胸に引き寄せられる。

「目に見えぬモノが具現化されるのが、この“神獣ノ里”という場所だ。
……お前とこうして触れ合えるのは、またしばらく先となる」
「……うん」

抱擁(ほうよう)は、つかの間の別れを惜しむもの。永遠に得られない行為ではないにも関わらず、咲耶の胸をしめつける。

(どうしてこんなに、不安になるんだろう……?)

禊は終えた。ここにいる“精神体”の和彰と共に、愁月の屋敷に戻ればいいだけだ。──それだけだ。
自分に言い聞かせた咲耶は、ここへ来る途中で思っていたことを口にする。

「和彰。私にしてくれた加護を、なかったことにして欲しいの」
「なぜだ」

仰向いた咲耶の目に、思いきり不快さを露わにした美貌の青年が入る。不つり合いなその様に咲耶は噴きだした。

「だって、また三日もかけて屋敷に戻るだなんて、効率が悪いでしょ? 帰りは犬貴に“影”に入ってもらったほうが、いいと思って」
「…………お前が望むなら」

しぶしぶとうなずく様がなんだか可愛いらしい。咲耶はいたずらっぽく笑ってみせた。

「和彰と、早く仲良くしたいだけなんだから、そんな顔しないで──」

言いかけた唇が、かすめとられるようにして奪われた。一瞬のちに離れた唇が、低い声音を放つ。

「……私の心は常にお前と共にある。それを忘れるな」

早口で告げられた直後。青年の姿をした白い“神獣”は、(こつ)然と消え失せていた。
次いで、咲耶の胸もとに、あたたかく硬い感触が生じる。

「……へ?」

手を当てると、小さな丸い物だと分かった。
あわてて懐から取り出せば、水中で見て以来、行方知れずだった、和彰の“御珠”であった──。





猪子に手を引かれ洞窟を出ると、朝の陽の光が咲耶を迎えるように辺りを照らしていた。

「こちらは、咲耶殿にお返しいたしますわね」
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