神獣の花嫁~かの者に捧ぐ~
背に回された和彰の手のひらが、咲耶がここにいることを確かめるようになでさする。

「ああ。だから、安堵した」

仰向けば、微笑む和彰と目が合った。なんとなく照れくさい思いでうつむきかけた咲耶の顔に、月影がかかる。

和彰の吐息を唇に感じ、甘い予感に身をゆだねた、その時──。

「どうやら、わたくしはまた、無粋な真似をする者になるようですわね」

気取った女の高い声。ほぼ同時に、地鳴りが辺りに響く。

「なに?」

驚いて声のした方向を見ると、庭先に巨大な水柱が出現していた。しぶきと共に上がったそれは、見る間に水の龍となる。

「咲耶!」

和彰の声が咲耶の足もとでした──何が起こったのか、分からない。

気づけば咲耶は屋敷を見下ろす高さにいた。半透明な、龍の頭の上に。咲耶の身体を支えるのは、白い小袖(こそで)のふくよかな腕。

「なんで私、こんな所に……」
「大人しくしてくださいまし、咲耶殿。すぐに済みますから」

背後で意味ありげに告げられた直後。咲耶ののどに、女の、火のように熱い指が絡まった。

猪子(いのこ)、さん……?」

声と口調を手がかりに振り向けば、やはりそこには癖のある赤茶色の髪の、細い目をした女がいた。
ふっ……と、咲耶に笑ってみせると、下方へ向かい鋭い声音を放つ。

「よく聞け、白いトラ神よ!
そなたが駄々っ子のような恋慕で縛りつけた憐れな“花嫁”を、解放してやる時が来たのだ!」

猪子の言葉に咲耶が反論しかけると、のどもとに置かれた指にぐっと力がこめられた。咲耶の気道を狭めたのだ。

「……っ……!」

思うようにならない声に、咲耶は身体を揺さぶり抵抗する。
すると、足もとから()い上がってきた水が、縄のように咲耶の胴と両腕を締め付けた。
ふたたび、猪子が耳もとでささやく。

「咲耶殿? いっときの感情で、判断を誤ってはなりませんよ?」

言いおいた猪子の、空いた片腕が上がる──闇夜に、轟音が大気を震わせ、火花が派手に散った。
咲耶に向ける物言いとは明らかに違う口調で、猪子がすごむ。

「引っ込んでおれ、雷犬! そちらの風犬もだ! それ以上、一歩でも動かば“花嫁”のこの首、へし折ってくれようぞ!」
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