神獣の花嫁~かの者に捧ぐ~
猪子が咲耶の前で見せた、力の片鱗(へんりん)
咲耶を人質にとったとはいえ、いままで咲耶の窮地を救ってきた“眷属”らの“術”を、ハエでも追い払うかのように、いともたやすくはね除けた事実。

「やり直せばよいのだ、先代の白いトラ神の“花婿”の召喚から。それで過ちは正せるではないか。のう、猪子?」
「……民にとっては、それで良いかもしれません。ですが──」
「この者も、心おきなく元の世界に帰れるだろう。
“対”がこの“陽ノ元”におるから、戻りたいと望んでおるのではないか? そうであろう?」

さえぎられた自らの進言に、猪子は反論することなく口をつぐむ。逆らえぬ者の、定めであるかのように。

「……カカ様の取り決めは絶対の理です」

絶対的な存在であること──猪子が咲耶に告げた、(さき)の言葉の意味。

ああ、と、咲耶は打ちひしがれ、目を閉じる。本当に自分は、甘かったのだ。人の身で、神に逆らおうなどと考えた自分が──。

「……どうか、お願いいたします」

咲耶は、ひれ伏した。自分か和彰かと問われれば、迷うことなく選ぶのは、ひとつ。

「過ちを正さなければならないのなら、和彰ではなく、私にしてください」

そう告げる咲耶の声は、先ほどの願いを訴えたものとは真逆の、(りん)としたものであった。





興奮した高らかな笑い声が、室内に響き渡った。

「聞きおったか、猪子!」

声の主は、その容姿に違わず子供のように足をばたつかせ、はしゃいでみせる。

「この者、いっそ清清(すがすが)しいほどに分かりやすいのう! 我が望む答えを言いよった!」

腹をかかえ咲耶を指差す様は、いたずらにかかった大人を笑う子供そのもので、いっそう咲耶を不快にさせた。

ひょいと煌が身を起こし、あぐらをかく。笑い疲れたのか、大きく息をついた。

「……なるほど、なんじの本心は分かった。“対”を無くすくらいなら、自分を差し出すか。
ならば望み通り(・・・・・・・)当代の白いトラ神の出生は、香火彦同様、我も不問に付すとしよう。
なに、我にとっても、そのほうが都合が良いのは事実」

にやりと口もとに浮かぶ笑みは、子供のそれではない。狡猾(こうかつ)な大人を思わす笑みだ。
瞬間、咲耶は、自分が誘導されていたことを知る。
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