神獣の花嫁~かの者に捧ぐ~
(えっ! ちょっ……犬貴、私を置いて行く気!?)

完全に予想外だった展開に咲耶は言葉を失ったが、ハクコのほうは事情を察したらしく、咲耶のほうへと歩み寄ってきた。
気まずい思いでいる咲耶の手を、ハクコがつかむ。

「行くぞ」
「えっ? ど、どこに!?」

いきなり触れた指先が、冷たくて心地よい。
そう思う自分に動揺した咲耶の口から、答えの分かりきった問いかけが飛びだす。案の定、無表情のハクコが、あっさりと答えを返した。

「屋敷に向かう途中だと、言ったのはお前だ」
「…………ですよね」

ひきつった笑みで同意し、ハクコに手を引かれ歩きだす。ふと、儀式直前にも同じようにされたのを思いだした。

(あの時と、同じなのに、な)

強引に、訳も分からず山道を歩かされ、無理やり手を引かれた。
状態は大差ないはずなのに、感じる心が微妙に変化していることに気づく。
でなければ、この無意味に脈打つ鼓動の速さを、説明できはしないだろう。

咲耶は、熱くなる手のひらに重ねられた冷たく長い指に意識が集中しないように、あえて口を開いた。

「さっきは、なんの『舞い』を踊っていたんですか?」
「舞いではない。“結界”の修復を行っていたのだ」
「“結界”の修復って……。あ! 昼間、ほころびができてたとかなんとか、犬貴が言ってたやつ……」

遅ればせながら「見覚えがある」などという、根拠のない思いを抱いたのにも合点がいった。

「犬貴から聞いた。お前に不快な思いをさせてしまったと。……すまなかった」

ひとりで納得している咲耶の耳に、ハクコの抑揚のない声が落ちてきた。思わず仰ぎ見る咲耶に、ハクコの眼差しが注がれる。

「へ? ……ああ、なんか、いろいろあるみたいですね。まぁ、びっくりしましたけど、そんな謝られることじゃないですよ」

犬貴とは違い、声に含まれる温度も青味がかった黒い瞳に現れるはずの表情も、まるでない。
にもかかわらず、そのひとことは真摯な響きを放っていた。

(感情がないわけじゃなくて……この人、どう表現していいのかが分からないのかもしれない)

漠然とだが、咲耶はそう感じた。
ハクコは人と接することに、慣れていないように思える。生まれてからの年数も、一因になるのだろうが……。
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