神獣の花嫁~かの者に捧ぐ~
「これ、次、霜月くんで」

バケツを手渡すと、無言で霜月はキリンを振り返ったが、すでにキリンは別の客へと向かっていた。
……猫には好かれていたが、草食動物にはそうでもないらしい。

無表情で立ち尽くす様は、見ていて哀れみとおかしみを誘い、咲耶は思わず霜月の片腕をポンと叩いた。

「逃げられちゃったね、ザンネン!」

笑って見上げれば、驚いたような霜月の目から力が抜け微笑みに変わった。

「……残念じゃない。松元さんが側にいるから」


       ※


暗闇に灯る、わずかな明かりを探すように。
月明かりにかすむ、小さな星を見つけるように。
ひとつひとつ、霜月の残した言葉をたどって、思い返す。

(……人生最悪の日だ……)

このまま、霜月からの連絡がなければ。

朝に弟から結婚話を聞かされ、昼に友人から結婚報告メールをもらい、夜に勤めた職場を解雇される。

(解ってる。私より、もっと大変でつらい思いをしてる人が、大勢いることくらい)

だが、人と比べることになんの意味があるだろう。自分の不甲斐なさは自分の為してきた行いの結果だ。

(私の努力が、単純に足らないだけ……)

一生懸命にやっていても報われないことはたくさんある。嘆いていても仕方ない。

大きく息をついて、咲耶はマイカーに乗りこんだ。手にした携帯電話は、自宅からの着信を知らせるのみ。

(だけど、それでも泣きたくなることだって──)

助手席に放り投げたバッグと携帯電話。とたん、車内で明るく光る画面に表示された、名前。

「も、もしもしっ」
「……いまから会える?」

勢いこんで電話に出た咲耶とは裏腹に、抑揚のない短い問いかけが返ってきた。霜月柊からの、電話だった。


       ※


『最近、どうしていますか? 近いうちに食事でも』
削除。

『今度どこかに行き』
削除。

『会いたいです』
──送信。


       ※


テールランプの灯りが揺らめく。前方を走っていた車が脇道に()れ、街灯の少ない夜道には、咲耶を乗せた霜月の車だけとなった。

舗装の悪い山道。咲耶が住む街の外れともなると、とたんに人通りも民家も少なくなる。
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