神獣の花嫁~かの者に捧ぐ~
「はぁっ? ナニ当たり前なこと言ってんだ、テンテン!」
「……たぬ吉。ハク様は、どうなされた?」

落ち着きを取り戻した犬貴の声に、犬朗はあわてて辺りを見回す。

(旦那?)

次いで、“主”の『気』を探れば、すでに屋敷内にいないことが判る。

「……し、師の所に行く、と、おっしゃられてました」

たぬ吉の応えに、犬朗は鼻にしわを寄せる。

(そっちかよ!)

なぜすぐに、己の“花嫁”を追わず、『師』という名の親元へ行くのか。

「……私も愁月様の所に行く。貴様はどうする?」
「行くに決まってんだろ!」

そもそもの元凶は、あのキツネ目の“神官”なのだ。

(くっそ、旦那の『親父』じゃなきゃ、雷撃の一発でもくらわしてやるのに!)

いら立ちも露わに、犬朗は犬貴と共に愁月の(やしき)へと向かうのだった。


❖❖❖❖❖


愁月の邸には、誰もいなかった。

門戸は閉じられ、家財道具は一切なく、仕えていただろう家人(けにん)の匂いが、複数残るのみ。
以前はあった“物ノ怪(もののけ)”を寄せつけぬための“結界(けっかい)”も、なくなっていた。

まさに、もぬけの殻となったそこで、犬朗は思わず言った。

「なんだこりゃ!」
「……退官と同時に、家人には暇を()ったのだろう」

犬貴の声には、他にも事情を知る響きがあったが、いまは愁月の個人的なことなど、どうでもよかった。
犬朗の興味は、白い“神獣”の行方にしかない。

「で? 次は、どうするよ?」

“主”の気配も匂いもない邸に、長居は無用だった。

寝殿造りの開放された空間。
広い板敷きの間にたたずんだ一方の甲斐犬が、何かに気づいたように足を踏みだす。

「これは──」

つぶやきながら、黒虎毛の犬の前足が拾い上げたもの。手のひらに収まるほどの白い折り鶴だ。
すると、蛍の光のような輝きが、折り鶴から放たれた。

『……クロ、か』

この場に居ない者の声が、響く。邸の主人、愁月のものだった。

「愁月様、ハク様はこちらに来られましたか?」
『……そちら(・・・)ではなく、こちら(・・・)にな。いま、そなたらもこちら(・・・)に招こう……』

切羽つまった犬貴の問いに、弱々しく応じる声。犬朗が知る愁月の抑揚ある口調ではない。

(なんだ……?)

不審の原因は、すぐに分かった。

突然、犬朗の視界にあるものすべてが二重に映りこみ、また戻った直後。
目の前に、愁月本人が現れたからだ。
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