神獣の花嫁~かの者に捧ぐ~
「……っ」

犬朗は、思わず顔をしかめた。

柱に背を預けた白い(うちぎ)姿の中年男の顔は、頬は痩せこけ、血の気のない唇をしている。何より、男からは腐臭がした。

(“(まじない)返し”か!)

術者の手に余る強い“呪”や、人道に背くような“呪”などを扱った際に、その反動が術者本人に返り、肉体と精神を(むしば)むことがある。
愁月の異変の正体は、それだろう。

「愁月様。それで、ハク様はどちらに?」

犬朗とは違い、愁月の様変わりを知っていたらしい犬貴は、間を置かず本題に入った。
そして犬朗も、事態が一刻を争うことを思いだし、愁月の返答を待つ。

(旦那の匂いはしても、旦那本人はいねぇときた!)

またしても、肩透かしをくらわされたのだ。歯がみしながら、犬朗は愁月を見据える。

「ハクコは……咲耶のあとを追い、異界へと行くつもりだ」

犬朗は、ぐっと拳を握った。

(……っし! とりあえずは及第点だぜ、旦那ッ)

咲耶を故郷に帰してやることと、咲耶を想う気持ちは別物。共に在りたいと願う気持ちだけは、捨ててないということだ。

「異界へ“魂駆(たまが)け”なさると? それは、かなりの危険を伴うのではありませんか?
ましてや、貴方様がこのようなお身体では──」

“主”の一途な想いゆえの行動よりも、犬貴の心配は残されるであろう“主”の肉体──“神ノ器”をどう保つかのようだった。

悔しいが、犬朗たち“眷属”の力では“神獣”である和彰の身体を物理的に護ることはできても、『生命体』としての機能を維持させることはできない。

だが、元“神官”であり、術者としても最高位にあった愁月ならば、(こころ)の入っていない“神ノ器”を保全することができるはず。

「そう……いまの私に、ハクコの“神ノ器”を保つだけの、力は、ない……」

大きく息をつき、愁月はなぜかそこで微笑んだ。

「だが、そなたらを異界へ送る手助けは、できる……」

犬朗は愁月の言わんとすることに思いが及ばず、黒虎毛の犬を見る。
しかし、犬貴のほうも愁月の意図をつかめなかったようで、目線で犬朗に応じた。

そんななかで、愁月の力のない声が先を続ける。

「猪子様が……咲耶を迎えに来られたと聞いた。それで思いだしたのだ……いまが“毛脱(けぬ)け”の時期で、あったことを。
猪子様は咲耶のことをお考えになられたのだろうが……ハクコにとっては、そのことこそ、好機」
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