神獣の花嫁~かの者に捧ぐ~
半分眠った頭がそれを“主”の匂いだと認識した瞬間。

いきなり相棒にどつかれたあげく、一葉に口を塞がれた。
「誓約を反古にされてもいいんですね?」と、冷たくささやかれ、我にかえる。

だが──。

(旦那と……それに咲耶サマがいた……!)

“主”二人が、いま、この同じ屋敷内にいるのだ。
嬉しさのあまり、ぴょこんと生えてしまいそうな尻尾を制御しながら、犬朗は閉じ込められた室内で白河兄妹を見る。

「俺、旦那の兄貴だって言って、咲耶サマに会ってきて良いんだよな?」

(はや)る気持ちを抑えながら尋ねたのは、自分の軽率な行いが二人の行く末を左右してしまうと解っていたからだ。

「……“神獣”サマのご兄弟は犬貴さんだけで充分だと思いますがね」
「いいんですよっ! 犬朗さん、特訓の成果を見せる時がいまなのです!」

一葉の苦言を二葉の強い語調がかき消す。兄があきれたように口を閉ざすのを無視して、妹が続けて言った。

「封印解除には“眷属”の皆さんの想いと、何より、ハク様の想いが必要なのですから」

普段の大仰な口調ではなく、静かな口調で告げる少女の片手が、上がる。いまは人の姿になっている赤虎毛の犬の額に触れた。

「宿る魂はそのままに、異形の姿を(おお)い隠したるモノよ。その殻を破ること叶わぬ。叶うは我の、言霊のみ」

とん、と、軽い力で二葉の指先が犬朗の額を打った。

「“重呪(ちょうじゅ)”」

いつもと違う抑揚のある声音は、少女というより大人の女の色香をまとう。
直後、()き物が落ちたかのように、二葉が笑った。

「ちょっと強めの“おまじない”をかけました! なので、あとの反動はハンパないですが……行ってらっしゃい、朗さん(・・・)!」
「……ありがとな、二葉チャン」

微笑みを返し、犬朗は立ち上がる。

自分たち“眷属”の存在が、白い“花嫁”の記憶を取り戻すために必要になると言い、加勢してくれた少女。
それは、この世界にいない“眷属”たちの分をも含み形にしてくれていた。

“花嫁”に少しずつ渡された『記憶の欠片』は、今夜、その残りの分も埋められていくはず。

最後の扉を開くのは、彼らの“主”に委ねられているが──きっと、二葉のいう通り「大丈夫」だろう。

そう強く、願うような思いを胸に、犬朗は“主”二人がそろった部屋の障子に手をかけるのだった。




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