神獣の花嫁~かの者に捧ぐ~
呼びかける真名(なまえ)

《一》百合子、来訪

小鳥のさえずりと陽の光のまぶしさに、咲耶は目を覚ました。

ぼんやりとした視界に入ってくるのは、整った容貌の若い男の寝顔。
さらした片方の二の腕には絹糸のような色素の薄い髪が絡み、もう一方の腕は咲耶の身体の下敷きになっている。

(……また、人間の姿に戻ってる……)

毎日毎晩、咲耶はハクコと寝床を共にしている──白い虎の幼獣と。だが、ほぼ毎朝、目覚めるとハクコは人の姿に“化身”していた。
その理由は「お前の寝言がうるさかった」だの「歯ぎしりが酷かった」だのと、獣の身でいるよりは人でいるほうが、それらの騒音が軽減されるということらしかった。

(だったら、一緒になんて寝なきゃいいのに)

小憎らしい男だ、と、その高い鼻をつまんでやろうと指を伸ばした瞬間、ゆるゆるとハクコの長いまつげが持ち上がった。青味を帯びた黒い瞳に、咲耶が映る。

「……何をしている」
「あっ、あのっ、私、また何か、やらかしましたかねっ?」
「……分からないのか」

いたずらが見つかりそうになり、あわてて取り繕うように尋ねると小さく息をつかれた。
直後、咲耶の身体がゴロンと半回転する。咲耶の下敷きになっていたハクコの腕が、引き抜かれたのだ。

「お前の身体が私にのしかかり圧死させられるところだった。獣の私はお前より、まだ身体が小さい。気をつけてくれ」

抑揚なく告げるハクコの低い声音を、畳の上でうつ伏せになった状態で聞く。
寝言・歯ぎしり・寝相の悪さ。咲耶はつくづく人と寝るのに向かない体質らしい。

溜息をつきながら、上半身を起こす。立ち上がって手水(ちょうず)に向かいかけた咲耶に、ハクコから声がかかった。

「咲耶、(まじない)がまだだ」

手首をつかまれ、ハクコの腕のなかへ引き寄せられる。後ろから抱きしめられるような形でハクコの息遣いを耳もとに感じたのち、頬に唇のぬくもりが伝わった。

(……変なことを教えてしまった……)

咲耶は、先日ハクコにした『頬っぺにチュー』を、咲耶がいた世界にある『おまじない』だと説明した。──ハクコに【真の名】を伝えるための。
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